四 街 道 市
和良比
泥んこはだか祭り
祭り名称 内黒田はだか参り
祭り開催日 3月15日 16.00頃〜約1時間
祭りの由来 内黒田のはだか参りは、農村集落伝承の予祝的祭りである。
裸の男衆が藁を拝殿に投げ入れて、そ散らばった形によりその年の吉凶を占ない、豊年を祈願し、豊年を喜び祝う祭りである。
内黒田熊野神社は、「千葉県印旛郡誌」「千葉県神社名鑑」では永和2年(1376)の創建と伝えられており、また内黒田妙見前より出土し、昭和57年市指定された板碑は、文明2年(1470)の記念銘があることから、この頃にはこの地に集落が形成されていたことが推察できるが、はだか参りの起源については不明。
祭りの内容 裸衆は、地元を中心とした40〜60祭才代の男性で、「裸坊」とよばれ下着1枚の裸姿(昔は褌)で10人前後からなる。裸になることは、身の潔白と、寒さにもめげず強い意志で神事を行うことを意味している。
1.禊ぎ(子供たちが裸坊にホースで水をかけるが、昔は本殿下のみたらし池で禊ぎをした)
2.40cmほどに切りそろえた藁を持ち、鳥居と拝殿の間を7回往復する。鳥居の所へ来たときには、たらい(以前は四斗樽、それ以前はみたらし池で)の水に藁を浸し、拝殿前に来たときには、濡らした藁を2〜3本拝殿へ投げ入れ、手を合わせて祈念する。藁は、前年収穫した稲藁を用い、五穀豊穣や村人の健康と平安を祈る。
藁を水に没すのは、藁を清め霊力をつけるためである。
また、境内の焚火は、内黒田では「かまやき」といっており、護摩を焚くことを意味している。
 「この護摩にあたれば、一年病気をしない」といわれている。
3.休憩 この間、村人は重箱に用意した赤飯などのご馳走で裸坊をもてなす。もてなしをすることは、はだか参りに参加したことになる。ここでは見物人も一緒にもてなしを受ける。
4.鳥居と拝殿の間を5回往復する。
5.拝殿と社殿の周りを右回りに3回廻る。
6.胴上げ(区長・神社総代)
7.手締め
 終了(各自自宅風呂に浸かり、慰労)
開催場所
アクセス
熊野神社 千葉県四街道市内黒田
JR四街道駅−千葉内陸バス・バードヒル池花行き:内黒田下車(260円、約20分)−徒歩約10分
  バスは、1時間に2本程度。
神社の由来
祭 神
永和2年(1376)に伊弉諾尊・伊弉冉尊・・事解男命・大己貴命・大山祇命・素戔嗚尊を祀り、熊野三社大権現と呼び創立。明治元年に熊野神社と改称。明治43年に琴平神社・日枝神社・入坂神社を合祀。
感 想 春の彼岸が近づいたとはいえ、まだまだ寒い中、禊ぎの水をかけられずぶ濡れになって、境内を走るのは、40〜60才代にとってはかなりハードで、鈍った体の私にとっては気の毒にさえ感じる。
昔は、形態はそれぞれだがこのような行事がこの地域の各集落で行われていたという。全国各地にも多いが、寒い中の裸での行事は、規模の大きい行事などの一部を除いて各地で年々減っているという。健康上への問題や行事の意義上からしかたがないことであろう。
参考事項
参考資料
占いを伴う早くからの行事は、市内吉岡地区でも伝承され、「ダイロクテンの日」と呼ばれ、毎年4月第1日曜日に開催されている。
現在は、子供会の行事として続いており、子供たちが藁(藁は100本の束を10束用意)を1本ずつ拝殿(朝日・春日神社)に投げ入れることを繰り返す。これを「千戸廻り」と呼ばれている。昔は、青年団が子供の面倒をみており、団員は裸であった。
県内には宣拓・占いを伴う祭りは、湯立神事・筒粥神事・お的神事などがあるが、内黒田のようにはだかまいりの形式のものはない。
四街道市教育委員会発行パンフレット
行事の前の神職のお祓い 裸坊は、ずぶ濡れになりながら一生懸命参る
行事の前に拝殿を前にして神職からお祓いをうける。今年の裸棒は、見たところ40〜70才の7人であった。
裸坊は短パン一枚で、3月中旬で御神酒が入っているとはいえ寒そうである。
行事は、まず、境内入り口の鳥居の前と拝殿前約20mを7往復する。その後、酒肴でもてなされたあと5往復する。裸坊は、子供により水道の蛇口につながれたホースなどで冷たい水をかけられ、奮い立ちながら走る。走りは小走りで、回を重ねるにしたがい無我の境地に入っている様子であった。
刺身・てんぷらなど豪華な酒肴 投げ入れられた藁の形で豊凶を占う
見物人にもふるまわれるという酒肴は、刺身、てんぷらなど豪華。もちろん酒・ビールもある。地域の人以外の余所者の見物人が多く、ふるまいは気持ち程度であった。
藁を投げ入れる拝殿には、烏帽子に白帳の人が座る。投げ入れられた藁の形状によって豊凶を占う。藁は不規則に散らばる。烏帽子に白帳の人がどんな裁定をしたか確認していない。
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