辻 切 り
辻切り  「辻切り」は、「道切り」「ふせぎ」「綱吊り」などとも呼ばれ、部落民や家畜に害を与える疫病・悪霊・鬼などの災難が部落(ムラ)に侵入しないように行う行事であるが、災難を封じ五穀豊穣を願って行うところもある。
 語の意味は、疫病などは道を通って部落へ入ると考えられたことから、部落の東西南北にあたる辻(道)を霊力により疫病などから遮断してしまう(切る)ことからこのように呼ばれた。

 遮断は、年の初めに注連縄・大蛇・龍・百足・人形・護符・大きな草鞋・陰陽物などを辻の木などに付けることにより行う。付けた注連縄などは、1年間そのままにしておき、翌年、1年間部落を守ってくれたものをはずす。どんとやきなどで燃やすところもある。
 辻切りを付けても鬼などが入り込む場合を考え、各家にも辻・道に飾ったものと同じ小型のものを飾る地方もある。

 年始めの「辻切り」に加え、年間を通して災難を防ぐ行事が行われている地方もある。それは、鬼を追い出す2月の節分の豆まきや竹籠と草履軒下にぶら下げて鬼を捕まえる行事。また、今ではほとんど見られないが、6月に部落へ入ってしまった災難などを人形に見立てて部落外へ追い出す“ 人形送り ”、地方によっては、正五九(正月・5・9月)の前月末に“ 晦日払い ”を行い、幣束で家中を祓い、幣束についた災難を家の外へ払い出し、幣束は屋敷境の地面に挿すなどである。
 「辻切り」は、全国的に行われていた習わしであったが、現在残っている地域は少ない。「道祖神」は、「辻切り」と同じ考えである。

 遮断する(切る)ために使う注連縄などには、次のような意味があるという。
●注連縄:“ シメ ”は“ 占める ”の意味で、疫病などの不浄なものの侵入を封じ、神などが部落にいる結界を示し、また、幸せなどを外へ逃さないようにする印として張る。
 現在は、注連縄を使っている地方でも、昔は大蛇などが多かったが、作る人がいなくなったり、簡素化により注連縄になったという。
●大蛇・龍・百足:恐れられたり嫌な動物や架空の生き物で鬼などを威嚇する。藁などで作る。
●護符:塞神(さいのかみ)である「八衢比古神(やちまたひこのかみ)・八衢比女神(やちまたひめのかみ)・久那戸神(くなどのかみ)」の三柱の神の護符。これらの神は延喜式(えんぎしき)にある「道饗祭(みちあえのまつり)」で、京都の四隅に祀(まつ)られるとされる神である。この祭りは、外から来る魑魅魍魎や妖怪などを都の入口で迎えて饗応し、中に入れることなく、そのまま送り返すという祭り。
また、「南妙法蓮華経・鬼子母神・十羅刹女」などの仏教の経文が書かれることもあり、仏の力で鬼などの侵入を防ごうとした。
●大きな草鞋:このような大きなわらじをはく者がこの部落にはいるとの脅し。
●陰陽物:藁などで男女性器を形取ったもので、疫病などが面白がって引き返すという。
●柊・ヤツデ・杉の葉、唐辛子・大蒜・抹香など刺のある植物や匂いの強いもの:節分の夜に柊の枝と鰯の頭を門戸に挿すと悪鬼を払うという習慣と同じ。
国府台の辻切り
名 称 辻切り (市川市指定無形民俗文化財:昭和54年4月24日指定)
神社名称 天満宮 千葉県市川市国府台3−11−9
御祭神 菅原道真
神社由緒 太田道灌持資が文明11年(1479)に鎮守として建立した。昔は、法皇家の墳頂部に祀られていたが、明治8年(1875)にその地に大学が建設されたために、現在地に移転した。
この地方には、昔から獅子舞などの多くの民俗行事が行われていた。天満宮でも10月25日の
辻切り由緒  千葉県の「辻切り」は、上総地域では注連縄を使う部落が多いが、下総地域では大蛇が多く、各地で盛んに行われていた。しかし、とくに戦後ほとんど姿を消し、残っているのは数えるほどになっているという。

 市川市・国府台の辻切りは、残る数少ないうちの一つであるが、昭和40年頃から、もう止めようよなどとの声も出始めたがなんとか続けているという。
 辻切りは大蛇で、部落の鎮守の天満宮の境内で作られる。材料は入手しづらくなっている藁で、2m以上の長さのものを4体作る。目はかまどの灰を半紙に包んで麻で結び取り付け、墨で目玉を書く。耳は枇杷の葉を使う。首には葛飾八幡宮
(注1)の護符をつける。護符(注2)には、「塞神」「三柱大神」とかかれ落款がある。
 次に御霊入れの神酒を飲ませ、境内での行事は終わる。
 この4体の大蛇を、部落の東西南北の辻(道)の木に結びつけ行事は終わる。

 行事に神職の参加はなく、すべて氏子(部落の人たち)だけで行う。行事のあとはみんなで昼食を取る程度で、酒盛りなどはないという。

注1)葛飾八幡宮(市川市八幡):創建は、寛平年間(889−898)に、宇多天皇の勅願により、京都清水八幡宮を勧請したのは始まり。
下総国総鎮守として、武神として古くから源頼朝、太田道灌、徳川家康など武人の崇敬を集めた。
明治維新までは、天台宗の八幡山法漸寺が別当寺であったが、排仏毀釈によって廃寺になった。社殿の前の鐘楼は、往時の遺物である。
また、山門の仁王像は、行徳の徳願寺に移され、その後には左大臣、右大臣の像が置かれて随神門(市川市指定有形文化財)と呼ばれるようになった。
祭神は、応神天皇(誉田別命)、神功皇后(息長帯姫命)、玉依姫命。例祭は、毎年9月15〜20日、境内では「八幡のぼろ市」と呼ばれる農具や日曜大工用品などの露店が並ぶ。
また、2月の初卯祭は湯立て神事、宮司舞などの祭事がおこなわれる、珍しい祭りである。

注2)護符:もともと塞神は、伊弉諾尊が伊弉冉尊を黄泉の国に訪ね逃げ戻った時に、追いかけてきた黄泉醜女を追い払うために投げた杖からできた神で、邪霊の侵入を防ぎ、行路の安全を守る神とされる。
ここでいう塞神は、「八衢比古神(やちまたひこのかみ)・八衢比賣神(やちまたひめのかみ)・久那戸神(くなどのかみ)」の三柱をいう。八衢比古神と八衢比賣神は、夫婦神。この三神は延喜式にある「道饗祭(みちあえのまつり)」で、京都の四隅に祀(まつ)られるとされる神である。この祭は、外から来る魑魅朦朧や妖怪などを都の入口で迎えて饗応し、中に入れないで、そのまま送り返すという祭である。
場 所
アクセス
・天満宮 千葉県市川市国府台3−11−9
・電車:JR松戸(常磐線) or 市川(総武線)から国府台経由市川(松戸)行バス公民館下車徒歩約10分
浦賀の地図
祭開催日 1月17日(土・日曜日無関係) 9.00頃〜12.00頃
参考資料 市川市教育委員会(027−334−1111)掲示板など
2005年の
状 況
行事は、雨や雪でも行われるとのことであるが、当日は、冬特有の寒い晴天であった。
今では残り少なくなった行事で、年々見物人が増えているという。
辻切りの目的からすれば、大蛇は4体必要であるが、近頃は1体で済ますところもあるという。この点国府台は、きちんと目的に沿って4体が作られている。
辻切りの大蛇は、神社境内で作られる。9.00頃から作り始めるが、近年は作る技術的な問題もあり、作る時間がかかるようになったという。
近頃は、珍しい行事であり、地元の小学校の生徒やシルバーの見物人が増えたという。
大蛇を作る天満宮には多くの見物人が押しかけた
大蛇は4体作られる。2m以上の長さの体は、入手しづらくなっている藁で見栄えよく作る。目はかまどの灰(未確認)を半紙に包んで麻で結び取り付け、墨で目玉を書く。耳は枇杷の葉を使う。口には、舌も付けられている。
首には葛飾八幡宮の護符をつける。
護符には、「塞神」「三柱大神」とかかれ落款がある。
2m以上も大蛇は、藁で作られる
できあがった大蛇に、御霊入れの神酒を飲ませる。蛇と酒は、八俣大蛇伝説にもあるように関係が深い。 できあがった大蛇に御霊入れの酒を飲ます
大蛇は、部落の東西南北の各辻(道)端の木の4〜5mの高さに藁縄で結ばれる。
「頭を部落の外に向けて」との情報もあるが、この場合は、右手が部落になり、こだわりは少ないようである。
木に付けられた大蛇
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