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神棚に祀る護符は、祭神の名前や象が書かれており、霊験あらたかで、神仏の加護によってあらゆる災難を祓い、魔除け厄除けとして強い力があるとされる。紙や木でできた護符に暮寺を書いたものは、中国の道教の影響を受けているとされる。護符ができる前は、日本人の深層にある、一木一草にも神が宿る自然崇拝の多神教(アニミズム)の思想から、石・砂・木などを祀っていたともいう。いまでも、神社の祭神が石の場合もあるという。 G神棚の祀る場所 神棚は一家の中心となる神聖な処であり、清浄でみんなが親しみやすい明るく、東か南向きの場所がよいとされる。 G護符の祀り方 3つの護符を奉安する。中央が最上位で天照大神などの「大神宮」、次が向かって右で「氏神」、左に「崇敬する神」を奉安する。 Gお供え物 神饌は清浄を旨に心のこもった新しい品を供える。 毎朝お供えする物:米(ご飯)、塩、水 正月にお供えする物:米、酒、鏡餅、など Gおまいりの方法 手・口を清める。 「祓へ給え、清め給え、守り給え、幸へ給え」と唱えながら二拝二拍手一拝する。 |
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元旦には歳の神が家々を訪ねるという。その歳神を迎えるための目印が門松であり、注連縄などの玄関飾りは結界で、これより内側には神がいるという印とされている。 門松に松を使うのは、神を待つと松の語呂合わせと、冬でも瑞々しさを保っていることによる。門松の基本はあくまで松であり、松竹梅は縁起合わせで後年始まったものである。 関東地方の門松は、正式には竹を土に埋め込み周囲を薪で囲み、その周りの藁で囲い藁を縛る縄は、縁起がいいとされる陽数にちなみ上から3周巻き、その下が5周巻き、一番下は7周に巻く。 京都では、玄関の柱に根の付いた松だけを打ち付けるだけの簡素なものが多い。 玄関飾りは、青刈りの稲藁を基本に、代々家が栄えるように橙、裏表がないことを示す裏白、若葉が育つまで古い葉が落ちないため子孫繁栄を願うユズリ葉、松葉、紅白の四手、伊勢エビや寿と描いた扇など付けた豪華なものもある。 |
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“シメ”は占めるの意味で、 神前または神事の場に不浄なものの侵入を封じる印、その家を訪れた歳神を逃さないようにする、また、歳神が中にいる結界を示す印などとして張る縄。本来は、家全体の周りを縄で囲むように張るが、簡素化して部分的に飾り全体につながっていることを示すために“注連”と書くという。一般には、新年に門戸に、また、神棚に張る。注連縄の形状は、牛蒡注連縄(神棚へ飾る)や前垂れ式の注連縄、大根注連縄、輪飾りなどがある。また、左捻を定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂を下げる。近頃は、クリスマスの飾りかと思える創作注連縄も増えている。 注連縄を飾る時期は、歳神が逃げないようにすることなどから、神様が中へ入る前に飾っては意味がなく、また、一夜飾りはよくないとされる。 |
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鏡は、伊勢神宮の内宮に奉斎される天照大神の御魂代の八咫の鏡など神が宿るものとされる。餅もハレの日の食べ物で稲の霊が宿るとされる。鏡も餅も丸いことに意味があり、丸は玉であり、魂であり、生命の象徴ともされている。そしてこの鏡餅に歳神が宿るとされる。したがって、鏡餅は餅だけでいいが、とくに関東では、縁起を担いで裏白、ユズリ葉、橙、昆布、串柿、海老、扇など豪華に飾り付ける。 供える時期は、一夜飾りは忌み嫌われ、28日頃に供える。 具足餅は、鏡餅と同じものであるが、正月に武家が甲冑などに供えるものをいう。 |
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年越しそばは、「みそかそば(三十日)」「運そば」「寿命そば」「のびそば」「運気そば」「福そば」「縁切りそば」などとも呼ばれ、大晦日、または節分の夜に食べる習慣として、江戸時代中期より始まったといわれている。 年越しそばの由来は、次のようにいろいろいわれている。 1)人生をそばのように細く長く生きたい。関西では、運を呼ぶ“うんどん(うどん)”を食べて太く長く生きたいとするところもある。 2)細工師が金粉を集めるのにそば粉を使うことから、“金”を集める縁起を担ぐ。 3)切れやすいそばにあやかって、昨年の労苦や災厄を切り捨てる。 4)風雨で倒されても、日が昇れば起き直る丈夫なそばにあやかる。 5)大晦日の夜遅くまで帳簿付けなどに追われた商人たちが腹ごしらえに食べた。昔は、盆暮れ払いが一般的で大晦日は多忙であった。 食べ方にきまりはないが、年を越してからでは縁起が無くなるといわれるため、年内に食べ終わる。 |
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「年のはじめを祝う」として、昭和23年に国民の祝日に制定された。 古くは、元日を“がんにち”と読んだ。元日の朝を元旦、歳朝、歳旦と呼ぶ。正月三ヵ日を元三日(がんさんにち)と呼ぶ。 宮中の元旦の行事は、元正天皇の霊亀2年(716)以来、宮中において文武百官を招いて年始を祝う元日節会が行われたとされる。 一般には、正月は歳神が来臨する神迎えのために、家々によりいろいろな祝いの行事があった。屠蘇やお節料理、雑煮をいただき、初詣にいく。 |
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江戸時代では、初日の出を初詣のついでに神社や寺院の境内から拝む習慣が盛んであった。神田・湯島・愛宕山・九段坂などは高台になっており、初日の出を拝むのに適していた。一部には、わざわざ未明に起き、 深川・州崎・芝高輪などの海岸へ拝みに行く人たちもいた。 また、今でも気象条件によっては富士山が見られるが、昔は空気が澄んでおり、初富士を拝む人も多く、東京には富士見町など富士山にちなむ町名が残っている。 現在の見所は、東京タワー(4.00〜より特別展望台への入場整理券が先着80名に配布される。大展望台は入場制限がないので、だれでも初日の出を楽しむことができまる)、サンシャイン60展望台(5.30〜より入場できる。電話:03−3989−3457)などがある。 |
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年明けの最初に汲む水を“若水”といい、汲みに行くことを“若水迎え”という。汲んだ若水で福茶を入れ、雑煮を煮た。 もとは、古代に主水司(注)が天皇に奉った水という。若水は、初水、福水とも呼ばれ、飲むと邪気が払われるとされた。浮世絵などにも井戸で若水を汲む風景が残っている。 注)主水司:律令制で、宮中の飲料水や醤・粥・氷室のことなどを司る宮内省の役所。 |
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元旦の早朝に海水を汲んで神に供えることや、汲んだ潮水をいい、若水と同じ意味の儀式とされる。西日本では若潮迎えなどと呼ばれ、九州ではお潮斎(おしおい)といい、潮水や砂で家を清めるしきたりがあったという。静岡県でも元旦の早朝に潮水を汲み家を清める初浜といわれる行事がある。 |
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もともとの雑煮は、歳神様に供えた餅を神様といっしょに食べる“神人供食”によるお陰を戴くとの意味があり、ハレの日に食べるご馳走で、旬のものを入れて食べた“菜煮”であったという。 雑煮の味付け、具などは、日本各地でいろいろである。一口にいえば、関東風は、焼いた切り餅のすまし仕立て、関西風は、湯がいた丸餅の味噌仕立てである。 関東風のだしは、鳥だしの醤油味で、亀甲に切った椎茸、里芋、小松菜、柚子などを入れ、角餅の淡泊な仕立てになっている。関西風は、昆布とかつおのだしに白味噌仕立てで、大根、金時人参、八頭芋などを入れ、焼かない丸餅が一般的である。しかし、同じ関東や関西でも家々により、味や具には違いがあり、まして日本各地ではその土地の産物を入れたり独得の味付けがある。例えば、秋田県の沿岸地方では、一昔前には「ハタハタ」でだしをとっていたなどである。 具も地方によりいろいろあり、奈良県山辺郡山添村の雑煮の材料は、丸餅、味噌、手作りの豆腐・こんにゃく、人参、大根、丸ごとの里芋など大きな雑煮椀に具を盛り上げて食べる。 北海道の雑煮は、鮭でだしをとり、具にも鮭が入っていることもある。稚内で雑煮は、鮭のだしに鮭、イクラ、蕪、人参、牛蒡、絹さやなどに角餅が入る。函館の雑煮は、鯨、大根、人参、豆腐、葱、こんにゃくなどの具に角餅が入る。 青森県川内町の雑煮は、鰯・昆布・椎茸のだしに、ぜんまい、大根、人参、ごぼう、蕗などの具が入る。 長崎県島原市の雑煮は、白菜、牛蒡、蓮根、高野豆腐、ちくわ、椎茸、アナゴ、春菊、蒲鉾、鶏肉などの多彩な具に丸餅である。名物郷土料理にもなっている。熊本では、丸餅にすまし仕立てである。 |
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今では失われつつあるが、元旦の朝、家族一同が膳に向かって、朱塗りの屠蘇器で年下の者から去年の無事と今年も元気に過ごせることを祈って屠蘇を飲む。 屠蘇は、中国の習俗が入ったもので、日本では平安時代の宮中の儀式が始まりといわれ、もともとは節句に飲む薬酒の一種を“屠蘇”といった。桃の節句に“白酒”、端午の節句には“菖蒲酒”、重陽の節句には“菊酒”を飲んだという。 屠蘇酒を造る原料を屠蘇散といい、中国の魏の漢方医・華陀が風邪薬として処方したのが始まりといわれている。屠蘇散の内容はいろいろあるが、山椒、百朮、桂皮、浜防風、桔梗、細辛、防風、乾姜、肉柱などであるが、陳皮、丁字などを入れる調合もある。また、江戸時代には、大黄、附子など作用の強いものが入っていたが今は入っていない。 屠蘇の飲み方は、屠蘇散を味醂や清酒に一晩漬けて飲むのが一般的である。 近頃は、需要が少なくなっているようで、取り扱う薬局も少なく、屠蘇といっても通じない場合も見られる。また、4〜5年前は、1包100円前後であったが、2006年末は、同じメーカーのものが170円となっていた。 年下の者から飲むのは、「年少者の若さや元気を年長者が貰って長生きをするため」との説もある。 屠蘇器は、1年に1回しか使わないものではあるが祝いの器だけに、漆塗りに蒔絵を施した豪華なものも多い。 江戸時代には、年末に医者へ薬礼(治療費)を払うと、そのお返しにくれたという。医者にかからない人は、薬屋で買った。 |
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「正月三ヵ日は、神々と同じものを食べる」との思想があった。一方、盆暮れというように、日常は質素なものしか食べられなかった時代に、正月には大盤振る舞いで精一杯のご馳走を、また、新年にあたり縁起を担いだ食べ物を食べた。 もともと、御節(おせち)とは、節句などの年中行事の行われる日のことであった。また、“ おせち ”の語の由来は、宮中で季節の節目に神前に食べ物を備える節供(せちく)からきたといわれる。今では、御節はお節料理ともいい、正月や節句につくるご馳走やお供えの餅をいう。
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元旦の将軍家のお膳には、吉例として「兎の吸物」が出たという。これは、徳川家康の祖父の松平清康が流浪し、信州の一地方の領主の光政に身を寄せていたときのある元旦の料理の一つとして、光政が狩で獲った兎を出した。それ以来、清康は運が開き、三河の国主となり、孫が征夷大将軍までなった。これを吉例として、徳川家では、元旦に兎の吸物の羮を出すようになったという。 |
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江戸時代に、簡単に食べられるものを三方に載せたものを食積(くいつみ)といい、賀詞客にふるまった。江戸末期には、単なる飾り物なり、三方に生米を敷き詰め、勝栗・梅干し・蜜柑・干し柿・昆布・橙などを飾ったという。京阪では蓬莱台(ほうらいだい)といい、三方に松竹梅を飾り、白米を敷くこともあり、その上に蜜柑・橙・串柿・昆布・伊勢エビ・榧などを置く。 |
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お茶と昆布・黒豆・山椒・大豆・梅干しなどを煮出した茶で、大晦日や正月、節分などで飲まれた。江戸は福茶、京阪は大服といわれた。 |
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江戸の湯屋の初湯は、元旦から七草まで、通常より高い特別料金(十二文)で紙に捻って番台に置かれた三方へ入れた。当時の湯銭は、8〜12文。 |
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初詣は、新年の最初に「恵方」を拝むと福が来ると信じられたことが始まりである。この恵方詣(吉方詣)の「恵方」とは、中国の陰陽五行説に由来し、歳徳神が回座する方位である。この方角の神社・仏閣に参拝する。除夜の鐘が鳴り始めた頃(旧年)から神社へ詣りにでるのは「年越し詣」という。「初詣」は、雑煮を祝ってから、正装して出かけるのをいい、新年の誓いと今年一年の家内安全・商売繁盛などを祈る。 「恵方」の方角は年によりかわる。ちなみに平成16年以降の方向は、つぎのとおりである。
1)明治神宮(東京都) 2)成田山新勝寺(千葉県) 3)川崎大師(神奈川県) 4)伏見稲荷(京都市) 5)住吉神社(大阪市) 6)鶴岡八幡宮(神奈川県) 7)太宰府天満宮(福岡県) 8)大宮氷川神社(さいたま市) 9)浅草寺(東京都、家内安全・商売繁盛・心願成就・身体健全・厄除け・交通安全) 10)熱田神宮(名古屋市) ・神田明神(東京都、開運招福・商売繁盛・縁結び・病気平癒) ・柴又帝釈天(東京都、開運招福・病気平癒・家内安全・商売繁盛) ・日枝神社(東京都、開運招福) なお、祭りだ!屋台だ!亭主は、神田明神と近所の神社へ初詣に行く。 |
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「人の行く方へ 我行く恵方哉」 (波 羅) |
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神仏に祈願して、事の吉凶を占う“くじ”で一般に「大吉」「吉」「小吉」「凶」「大凶」などがある。吉凶や番号をしるした多くの串を匣(はこ、普通角形、箱・函・筥・筐と同意語)、または筒に入れて小孔から振り出してとる方法や、吉凶を書いた紙が入っている箱から直接取り出す方法などがある。凶や大凶などが出た場合、続けて引くと吉や大吉が出る場合がある。また、年始には大吉や吉が出る確率が高い。 おみくじの由来は、天台宗の僧で別名を良源といい、正月3日(元三)に入寂したところからその名が付いた「元三慈恵大師良源上人」(912〜985)とされている。江戸時代初期、上野寛永寺の天海大僧正(1536〜1643)は、常々慈恵大師に帰依していた。ある夜の夢枕に慈恵大師が現れ、「信州戸隠山明神の宝前に観音百籤がある。これは、人々の困難を救うために観音菩薩に祈念していただいたものである。これを影像の前に置いて吉凶禍福を占えば、禍福を知ることができる。そして衆生を利益せよ」とのお告げがあった。確かに戸隠に偈文百枚が納められていた。この百枚の偈文に番号を付けて番号を引くようにしたところ、願う事柄の吉凶が得られたという。(出典:丸亀市妙法寺) G天海:江戸初期の天台宗の僧で、南光坊と称す、諡号は慈眼大師。川越市喜多院などに住み、後に徳川家康の知遇を受け、内外の政務に参画、延暦寺の復興と日光山の整備にも尽力した。家康の死後、東照大権現の贈号と日光山改葬を主導した。また、寛永寺を創建し、大蔵経を刊行、天海版といわれた。 |
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古くは、縄を巻いてドーナツを作り、これを投げ上げて穴を弓矢で射る正月の遊びがあり「はな矢(浜矢)」といった。このドーナツが「はま」で、弓が「はま弓」、矢が「はま矢」であった。後年、「はま」の語呂に合わせて「破魔」が当てられ新年のお守りとして神社で配られるようになった。 矢と弓には、霊力があると信じられていた。素戔嗚尊が死の国へ身罷った母の伊弉冉尊が恋しく、姉の天照大神に訴えようと高天原へ行ったとき、勘違いがあり天照大神は千本の矢が入った筒を背負い、五百本の矢を入れた矢筒を抱えて、弓を振り鳴らして待ちかまえた。この弓と矢は、この世とかの世を繋ぐ呪術の道具とされ、霊力があるとされているという。 (出典:俳人・長谷川 櫂) |
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古くは、節分の夜に見る夢とされたが、現在は1日の夜、2日の明け方に見る夢をいう。昔は夢は神仏の示しであるとし、夢見を気にして、吉凶を占った。それだけに初夢はよい夢を見たいとして、宝船の絵を枕の下に入れて寝た。 めでたい夢は一般に、一富士、二鷹、三茄子とされる。富士は富士山をあらわすわけでなく、曾我兄弟富士裾野の仇討ち、鷹は赤穂浅野家の紋所で赤穂浪士の仇討ち、なすびは伊賀上野の荒木又右衛門の仇討ちを意味した成語(古人がつくり、後人によく引用される語句)であるとの説もある。どちらにせよ、宝船、富士、春駒の初夢は縁起がよいとされた。 |
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宝船の起こりは、室町時代の足利将軍家や公家が、吉夢祈願と悪魔払いのために、節分の夜に使ったといわれる。その頃は、宝船は簡単な稲束や俵を積んだ船を描いた木版画であった。古くは、大晦日の夜から元旦の暁に見る夢をいった。 江戸時代になると、絵柄は次第に賑やかなものになり、七福神が乗るようになった。正月元旦には「オタカラ オタカラ」と威勢のいい売り声を張りあげて、宝船売りが出た。買った絵を、2日の明け方に縁起の良い初夢が見られるように枕の下に敷いて寝た。もし、気に入らない夢であっても、宝船の絵を川に流せば、悪夢の厄もいっしょに流れ去るとされた。絵には、「ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」という廻文(かいぶん、上・下から読んでも同じ語句)の歌が書いてある。 明治時代になると宝船の人気は、下火になったが、大正時代になると京都でブームが再燃した。絵柄も七福神のみならず、定番としては稲穂や七福神であるが、縁起がよければなんでもありとなった。例えば、達磨、福助、千・万両箱、干支に因んだ動物、鯛・鮑・伊勢海老などの魚、守護神などいろいろ登場した。なんと、竹久夢二が描いた「ゴンドラ宝船」も、京都島原遊郭にある住吉神社で領布されていた。 宝船を領布している神社。 G東京:五条天神社(上野公園)、十番稲荷神社(麻布十番)、妻恋神社(湯島)、向島百花園(湯島)など G京都:今宮神社(北区)、春日神社(左京区)、貴船神社(左京区)、五条天神社(下京区)、若宮神社(東山区)など G大阪:大阪天満宮(北区)、堀川戎神社(北区) |
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全国の七福神巡りは、約200カ所、また一カ所で七福神巡りができるところも約45カ所ある。しかし、市の数が約700もあり実際はもっと多いと思われる。 七福神巡りの発祥は、京都で都七福神の巡拝が始まったのは、室町時代といわれている。七つの神社寺院になったのは、仁王般若経の「七難即滅、七福即生」など諸説がある。 東京・京都・奈良・大阪の七福神の例。
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もともとは儒教の教えとの説もあり、今でも正月(旧暦)に中国や韓国でも子供にお金を与える風習がある。中国のお年玉は、“ 圧歳銭 ”といい、新しい年が無事に過ごせるようにとの意味であるという。お金は、赤い封筒にいれて渡すことから“ 紅包 (hong bao) ”と呼ばれる。 日本のお年玉の意味や由来にはいろいろな次のような説がある。 1)“ 年賜(としだま) ”の意味で、その語源は、年神様に奉納された鏡餅を参拝者に分け与えた神事 から来ている。鏡餅は鏡を形取った物で、鏡は魂を映すもの、「魂=玉」であるとされることから、歳神様の玉、すなわち、「年玉」という。鏡餅を頂いた参拝者が、小さく割って家族や使用人に半紙に包み分け与えたのが「お年玉」の起源ともいう。 2)“ 年魂・年霊 ”の意味で、歳魂・年霊は歳神の心霊のことで、年頭には心霊を授かって新たな生命力を得る儀式を行っており、その神様からもらった魂を、分け与えるのが、本来の年玉だった。 3)むかし、正月の挨拶で、“ 御年始 ”、“ 御年玉 ”と称して、贈答物を持参することがさかんになり、それが形を変えて家人への贈答物を“ 御年賀 ”、“ 御年始 ”といい、子供へのおみやげを“ お年玉 ”と使い分けるようになった。 お年玉袋を“ ポチ袋 ”というところがあり、その語源は僅かとか心ばかりの意味の古い関西弁の“ ぽちっと ”、関東弁の“ これっぽち ”からという。 地方によっては、正月の神詣りや若水迎えに供える供物の洗米や米を“ オサゴ ”“ 年玉 ”という。 |
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江戸時代、元旦の朝6時頃、御三家・譜代大名・お役人が装束を整し、供揃いをつれて江戸城へ拝賀に登城した。2日の6時頃、国主・城主・諸役人が登城し、8時頃には江戸御用達の町人が拝賀を行った。また、3日には諸大名の嫡子が、6日には寺社僧徒社人山伏などが登城した。 |
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江戸時代には、TVやDVDなどはなく、いろいろな芸人が町を廻った。芸人は、三河万歳・鳥追(門口で三味線を弾き、銭や穀物など貰う門付芸人)・大黒舞い(大黒様の装束で門付をする)・傀儡師(背負った箱に人形を入れ、腰の鞨鼓を叩きながら歩き、人が集まると、人形の舞いをする)・太神楽(太鼓・笛の囃子で獅子舞・独楽廻し・皿廻しなどの大道芸)・猿廻しなどであった。 |
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松の内は、「松飾り・門松」を飾っておく期間をいい、近年は、1月7日までをいうが、本来は小正月の15日までであった。松の内を過ぎると「松過ぎ・松明け・注連明」ということもある。 |
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1月2日をいい、諸説ある。 一.新年の初めての夫婦交合の日。 二.衣服を縫い始める日。 三.洗濯・張り物を始める日。 四.姫飯(ひめいい)〔祭辞典〕を食べ始める日。 五.火や水を使い始める日。 六.飛馬(ひば)始めの日、馬の乗り初めの日。 |
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8日に、諸大名は、行列を揃えて、神君が祀られている上野東照宮を参拝した。 |
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1月7日に七草が入った粥を食べる習わしをいいい、「七草の節句」の略である。七草粥を食べると邪気を払い万病を除くといわれる。 中国では1月7日のことを「人日」といい、七種菜羹(七種の野菜の羮、あつもの)を食べ、無病を祈る風習があった。江戸時代には日本でも、人日は五節句の一つで、将軍以下諸侯が七草粥を食べた。また、古くは延喜式にもでており、平安時代には1月15日に粥に米・粟・黍・稗・み子・胡麻・小豆の七種類の穀物を入れていた。 春の七草は、芹・薺(ペンペン草)・御形(母子草)・繁縷(ほこべ)・仏の座(田平子)・菘(蕪)・蘿蔔(大根)であり、これらを6日から7日の早朝にかけてまな板の上で包丁で刻む。このとき子供たちが囃子唄を歌う風習があった。 |
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1月11日に神様にお供えした鏡餅を下げて食べる神人供食の祝いの儀式である。寛永年間に始まったといわれ、1月20日に行われていたが、徳川三代将軍家光が20日に他界したため、11日になった。鏡餅は刃物で切らず、手や槌で割る。縁起を担いで切るといわないで、開くという。 注連飾りを焼く、「どんど焼」の火で割った鏡餅焼いて食べると風邪をひかないといわれる。どんど焼は、左義長ともいい、小正月の火祭りとして、14日の夜に焚くところもあるし、15日の朝に行うところもある。 |
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旧暦1月15日をいい、また、「人の正月」「女正月」「花正月」ともいう。元旦を「大正月」といい、15日を小正月という。旧暦では、新年の最初の満月の日、すなわち、旧暦1月15日が元旦であったが、新暦になり1月1日を初日としたため、1月1日を大正月、15日を小正月と呼んだ。 「女正月」と呼ぶのは、普段忙しく働いている女性に変わって、男性が料理を作る日とされたことによる。昔の奉公人の休日でもあった。奉公人の休日は、三元といい、上元の日1月15日、中元の7月15日、下元の10月15日とされていた。 |
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旧暦の1月20日で正月の終わりの節目の日で、正月の行事はお終いの日で、かっては、仕事を休む物忌み(ものいみ、祭辞典)の日であった。 群馬県では棚探し、岐阜県フセ正月、岩手県では二十日ワッパカ、石川県では乞食正月・奴正月などといい、正月の料理や餅を食べ尽くす地域がある。また、京阪神地方では、骨正月・頭正月ともいい、正月の鰤の骨・頭を20日間粕漬けし、野菜・大豆などと一緒煮て食べる地域がある。 |
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