正 月
目   次
初 子 神 棚 門 松
玄関飾り
注連縄 鏡 餅 除夜の鐘
年越しそば 元 旦 初日の出 若水・若潮 雑 煮 屠 蘇
お節料理 初 詣 おみくじ 破魔矢 初 夢 宝 船
七福神巡り お年玉 松の内 姫始め 七 草 鏡開き
鏡割り
小正月
女正月
二十日正月 兎の吸物 食積・蓬莱台 福茶・大服 初 湯
御礼初登城 年始廻り 芸 人 上野東照宮参拝 今年の決意
参考資料
用 語
東京箱根間
往復
大学駅伝競走
天皇杯
全日本サッカー
選手権大会
初 亥
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 新しい1年が始まる正月は、過ぎ去った旧年を反省し、新しい決意と新しい年の幸福を祈ります。

 「寝てまてば 福がくるかや 鼠なく」
      (小林 一茶)
 「犬の子や かくれんぼする 門の松」
      (小林 一茶)
 「ともかくも あなたまかせの としの暮れ」
      (小林 一茶)
 「這え笑え 二つになるぞ けさからは」
      (小林 一茶)
 「めでたさも 中くらいなり おらが春」
      (小林一茶)
 「元旦や 上々吉の浅黄空」
 「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
      (一休宗純禅師)
 「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり」
      (入道前太政大臣・藤原公経・西園寺公経)
 「過し世も くる世もおなじ夢なれば けふの今こそ楽しかりけれ」
      (杉田玄白)
 「鐘一つ売れぬ 日はなし江戸の春」
      (宝井 其角)
 「屠蘇の酔 百まで生きる心地哉」  (南 海)
 「屠蘇の酔 大福長者となりにけり」  (紅 葉)
 「汲めどもつきぬ若水を、君と汲まゝし、せのいづみ、
  かはきも知らぬ若水を、君と飲まゝし、せのいづみ、
  かの若水と身をなして、春の心に湧きいでん。
  かの若水と身をなして、君とながれん花のかげ。」
      (若水:島崎 藤村)
 「兄がさす 弟は請ける屠蘇の酒」
 「七種や袴の紐の片結び」  (七草:与謝 蕪村)
初詣で賑わう神田明神。
初 子 (はつね)
その月の最初の子の日。とくに、正月の最初の子の日をいう。古くは、朝廷では野外に出て、小松引き、、若菜摘みなどの野遊びが行われた。
甲子(きのえね)の日には、大黒天祭を行う神社が多い。
  神田明神甲子だいこく祭:境内の石造りだいこく様前において、だいこく祭を斎行し、参拝者に福が授けられる。
初 亥
平成19年の初亥は、1月5日(金)。
摩利支(梵語:Marici)は、もともと、インドの民間信仰の風神の一つで、火星・生主・梵天の子、あるいは、迦葉波仙人の父とされている。それが、威光・陽炎と訳し神格化された女神となり、摩里支・末利支・摩利支菩薩・摩利支提婆とも書かれる。
日蓮宗の教典に、「常に日の前に居て、日に仕えるが、その姿は日から見えず、また人からも見ることはできない。それ故に、人に捉えられたり欺誑されることもなく、害されたり, また怨まれる者に自分のことを知られることがない。そして、人が摩利支天の名を知り、念ずれば摩利支天と同様の功徳が得られる」とある。
その姿は、「天女」、「猪に乗る二臂、忿怒相の三面六臂・八臂」などいろいろあり、持ち物も、「天女は、乳の前に当てた左手に天扇を握る」、「三面六臂・八臂のものは、弓・箭・針・線・鉤・羅索・金剛杵などの武器を持つ」などがある。
日本の中世では、忿怒相の摩利支天が武士の守護神として信仰され、また、摩利支天を本尊にして護身・隠身・遠行・得財・論争勝利などを念ずる摩利支天法と称する修法が行われたという。
日本三大摩利支天は、東京・上野・徳大寺、京都建仁寺・禅居庵、前田利家公が守護神とした加賀摩利支天山寶泉寺の摩利支天とされる。
東京・上野・徳大寺の摩利支天像は、亥に乗っていることから、初亥の日に初亥大祭が行われる。祈祷:8.00〜(2時間毎)〜18.00。なお、なぜ、亥に乗っているかは不明。
神 棚
 神棚に祀る護符は、祭神の名前や象が書かれており、霊験あらたかで、神仏の加護によってあらゆる災難を祓い、魔除け厄除けとして強い力があるとされる。紙や木でできた護符に暮寺を書いたものは、中国の道教の影響を受けているとされる。護符ができる前は、日本人の深層にある、一木一草にも神が宿る自然崇拝の多神教(アニミズム)の思想から、石・砂・木などを祀っていたともいう。いまでも、神社の祭神が石の場合もあるという。
G神棚の祀る場所
 神棚は一家の中心となる神聖な処であり、清浄でみんなが親しみやすい明るく、東か南向きの場所がよいとされる。
G護符の祀り方
 3つの護符を奉安する。中央が最上位で天照大神などの「大神宮」、次が向かって右で「氏神」、左に「崇敬する神」を奉安する。
Gお供え物
 神饌は清浄を旨に心のこもった新しい品を供える。
 毎朝お供えする物:米(ご飯)、塩、水
 正月にお供えする物:米、酒、鏡餅、など
Gおまいりの方法
 手・口を清める。
 「祓へ給え、清め給え、守り給え、幸へ給え」と唱えながら二拝二拍手一拝する。
東京の門松。
門松・玄関飾り・飾松・松飾
 元旦には歳の神が家々を訪ねるという。その歳神を迎えるための目印が門松であり、注連縄などの玄関飾りは結界で、これより内側には神がいるという印とされている。
 門松に松を使うのは、神を待つと松の語呂合わせと、冬でも瑞々しさを保っていることによる。門松の基本はあくまで松であり、松竹梅は縁起合わせで後年始まったものである。
 関東地方の門松は、正式には竹を土に埋め込み周囲を薪で囲み、その周りの藁で囲い藁を縛る縄は、縁起がいいとされる陽数にちなみ上から3周巻き、その下が5周巻き、一番下は7周に巻く。
 京都では、玄関の柱に根の付いた松だけを打ち付けるだけの簡素なものが多い。
 玄関飾りは、青刈りの稲藁を基本に、代々家が栄えるように橙、裏表がないことを示す裏白、若葉が育つまで古い葉が落ちないため子孫繁栄を願うユズリ葉、松葉、紅白の四手、伊勢エビや寿と描いた扇など付けた豪華なものもある。
注連縄
 “シメ”は占めるの意味で、 神前または神事の場に不浄なものの侵入を封じる印、その家を訪れた歳神を逃さないようにする、また、歳神が中にいる結界を示す印などとして張る縄。本来は、家全体の周りを縄で囲むように張るが、簡素化して部分的に飾り全体につながっていることを示すために“注連”と書くという。一般には、新年に門戸に、また、神棚に張る。注連縄の形状は、牛蒡注連縄(神棚へ飾る)や前垂れ式の注連縄、大根注連縄、輪飾りなどがある。また、左捻を定式とし、三筋・五筋・七筋と、順次に藁の茎を捻り放して垂れ、その間々に紙垂を下げる。近頃は、クリスマスの飾りかと思える創作注連縄も増えている。
 注連縄を飾る時期は、歳神が逃げないようにすることなどから、神様が中へ入る前に飾っては意味がなく、また、一夜飾りはよくないとされる。
鏡餅・具足餅
 鏡は、伊勢神宮の内宮に奉斎される天照大神の御魂代の八咫の鏡など神が宿るものとされる。餅もハレの日の食べ物で稲の霊が宿るとされる。鏡も餅も丸いことに意味があり、丸は玉であり、魂であり、生命の象徴ともされている。そしてこの鏡餅に歳神が宿るとされる。したがって、鏡餅は餅だけでいいが、とくに関東では、縁起を担いで裏白、ユズリ葉、橙、昆布、串柿、海老、扇など豪華に飾り付ける。
 供える時期は、一夜飾りは忌み嫌われ、28日頃に供える。
 具足餅は、鏡餅と同じものであるが、正月に武家が甲冑などに供えるものをいう。
「花の雲 鐘は上野か浅草か」の浅草弁天山の鐘楼
鐘楼はかねつき堂ともいわれる。
除夜の鐘
 除夜とは、「旧年を除く」意味である。仏教では、人は煩悩を取り除かないと過ちを犯すとされ、各寺院では31日の夜に、去りゆく1年を反省し、新しい年の幸福を祈って法要が行われる。その後、108の煩悩を除くために除夜の鐘をつく。昔は、旧年中に107をつき、新年と同時に108つ目をついたが、近頃は新年と同時につき始めるところが多い。
 108のいわれにはいろいろあるが、一例は、人間の心身をを苦しめる煩悩は108種類あるとされる。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が、色・声・香・味・触・法の六塵と関係するときに、それぞれ苦楽・不苦・不楽の3種類があり、これらを掛け合わせて18の煩悩になる。これを染・浄の2つの強弱にわけて36種類、さらに過去・現在・未来を掛けて108種類の煩悩になるとしている。
 寺院では108の鐘をつくのは大晦日だけでなく、朝夕に鐘を鳴らすことになっているが、普段は略して18回にしている寺院が多いという。朝につくのは、眠りを戒め、夕方につくのは目のくらんだ迷いを覚ますためという。
 鐘には梵鐘と喚鐘がある。梵鐘は大鐘・釣り鐘・鯨などとともいい、高さが1.5〜2m、直径0.6〜1mが多い。上部に龍の頭をかたどった龍頭といわれる釣り手があり、下部には二個の突座があり、ここを吊した鐘木(しゅもく)でつく。喚鐘は梵鐘を小型にしたもので、半鐘ともいう。高さ50〜69cm、直径30cmが多く、仏堂などに吊される。
 除夜の鐘をつかせてもらえる寺の一例。
東京 鎌倉市 京都 奈良 大阪
護国寺 高幡不動尊 長谷寺 東慶寺 泉涌く寺 石上寺 太融寺 四天王寺
年越しそば
 年越しそばは、「みそかそば(三十日)」「運そば」「寿命そば」「のびそば」「運気そば」「福そば」「縁切りそば」などとも呼ばれ、大晦日、または節分の夜に食べる習慣として、江戸時代中期より始まったといわれている。
 年越しそばの由来は、次のようにいろいろいわれている。
1)人生をそばのように細く長く生きたい。関西では、運を呼ぶ“うんどん(うどん)”を食べて太く長く生きたいとするところもある。
2)細工師が金粉を集めるのにそば粉を使うことから、“金”を集める縁起を担ぐ。
3)切れやすいそばにあやかって、昨年の労苦や災厄を切り捨てる。
4)風雨で倒されても、日が昇れば起き直る丈夫なそばにあやかる。
5)大晦日の夜遅くまで帳簿付けなどに追われた商人たちが腹ごしらえに食べた。昔は、盆暮れ払いが一般的で大晦日は多忙であった。
食べ方にきまりはないが、年を越してからでは縁起が無くなるといわれるため、年内に食べ終わる。
元 日
 「年のはじめを祝う」として、昭和23年に国民の祝日に制定された。
 古くは、元日を“がんにち”と読んだ。元日の朝を元旦、歳朝、歳旦と呼ぶ。正月三ヵ日を元三日(がんさんにち)と呼ぶ。
 宮中の元旦の行事は、元正天皇の霊亀2年(716)以来、宮中において文武百官を招いて年始を祝う元日節会が行われたとされる。
 一般には、正月は歳神が来臨する神迎えのために、家々によりいろいろな祝いの行事があった。屠蘇やお節料理、雑煮をいただき、初詣にいく。
初日の出
 江戸時代では、初日の出を初詣のついでに神社や寺院の境内から拝む習慣が盛んであった。神田・湯島・愛宕山・九段坂などは高台になっており、初日の出を拝むのに適していた。一部には、わざわざ未明に起き、 深川・州崎・芝高輪などの海岸へ拝みに行く人たちもいた。
 また、今でも気象条件によっては富士山が見られるが、昔は空気が澄んでおり、初富士を拝む人も多く、東京には富士見町など富士山にちなむ町名が残っている。
 現在の見所は、東京タワー(4.00〜より特別展望台への入場整理券が先着80名に配布される。大展望台は入場制限がないので、だれでも初日の出を楽しむことができまる)、サンシャイン60展望台(5.30〜より入場できる。電話:03−3989−3457)などがある。
若 水
 年明けの最初に汲む水を“若水”といい、汲みに行くことを“若水迎え”という。汲んだ若水で福茶を入れ、雑煮を煮た。
 もとは、古代に主水司(注)が天皇に奉った水という。若水は、初水、福水とも呼ばれ、飲むと邪気が払われるとされた。浮世絵などにも井戸で若水を汲む風景が残っている。
注)主水司:律令制で、宮中の飲料水や醤・粥・氷室のことなどを司る宮内省の役所。
若 潮
 元旦の早朝に海水を汲んで神に供えることや、汲んだ潮水をいい、若水と同じ意味の儀式とされる。西日本では若潮迎えなどと呼ばれ、九州ではお潮斎(おしおい)といい、潮水や砂で家を清めるしきたりがあったという。静岡県でも元旦の早朝に潮水を汲み家を清める初浜といわれる行事がある。
雑 煮
 もともとの雑煮は、歳神様に供えた餅を神様といっしょに食べる“神人供食”によるお陰を戴くとの意味があり、ハレの日に食べるご馳走で、旬のものを入れて食べた“菜煮”であったという。
 雑煮の味付け、具などは、日本各地でいろいろである。一口にいえば、関東風は、焼いた切り餅のすまし仕立て、関西風は、湯がいた丸餅の味噌仕立てである。
 関東風のだしは、鳥だしの醤油味で、亀甲に切った椎茸、里芋、小松菜、柚子などを入れ、角餅の淡泊な仕立てになっている。関西風は、昆布とかつおのだしに白味噌仕立てで、大根、金時人参、八頭芋などを入れ、焼かない丸餅が一般的である。しかし、同じ関東や関西でも家々により、味や具には違いがあり、まして日本各地ではその土地の産物を入れたり独得の味付けがある。例えば、秋田県の沿岸地方では、一昔前には「ハタハタ」でだしをとっていたなどである。
 具も地方によりいろいろあり、奈良県山辺郡山添村の雑煮の材料は、丸餅、味噌、手作りの豆腐・こんにゃく、人参、大根、丸ごとの里芋など大きな雑煮椀に具を盛り上げて食べる。
 北海道の雑煮は、鮭でだしをとり、具にも鮭が入っていることもある。稚内で雑煮は、鮭のだしに鮭、イクラ、蕪、人参、牛蒡、絹さやなどに角餅が入る。函館の雑煮は、鯨、大根、人参、豆腐、葱、こんにゃくなどの具に角餅が入る。
 青森県川内町の雑煮は、鰯・昆布・椎茸のだしに、ぜんまい、大根、人参、ごぼう、蕗などの具が入る。
 長崎県島原市の雑煮は、白菜、牛蒡、蓮根、高野豆腐、ちくわ、椎茸、アナゴ、春菊、蒲鉾、鶏肉などの多彩な具に丸餅である。名物郷土料理にもなっている。熊本では、丸餅にすまし仕立てである。
屠 蘇
 今では失われつつあるが、元旦の朝、家族一同が膳に向かって、朱塗りの屠蘇器で年下の者から去年の無事と今年も元気に過ごせることを祈って屠蘇を飲む。
 屠蘇は、中国の習俗が入ったもので、日本では平安時代の宮中の儀式が始まりといわれ、もともとは節句に飲む薬酒の一種を“屠蘇”といった。桃の節句に“白酒”、端午の節句には“菖蒲酒”、重陽の節句には“菊酒”を飲んだという。
 屠蘇酒を造る原料を屠蘇散といい、中国の魏の漢方医・華陀が風邪薬として処方したのが始まりといわれている。屠蘇散の内容はいろいろあるが、山椒、百朮、桂皮、浜防風、桔梗、細辛、防風、乾姜、肉柱などであるが、陳皮、丁字などを入れる調合もある。また、江戸時代には、大黄、附子など作用の強いものが入っていたが今は入っていない。
 屠蘇の飲み方は、屠蘇散を味醂や清酒に一晩漬けて飲むのが一般的である。
 近頃は、需要が少なくなっているようで、取り扱う薬局も少なく、屠蘇といっても通じない場合も見られる。また、4〜5年前は、1包100円前後であったが、2006年末は、同じメーカーのものが170円となっていた。
 年下の者から飲むのは、「年少者の若さや元気を年長者が貰って長生きをするため」との説もある。
 屠蘇器は、1年に1回しか使わないものではあるが祝いの器だけに、漆塗りに蒔絵を施した豪華なものも多い。
 江戸時代には、年末に医者へ薬礼(治療費)を払うと、そのお返しにくれたという。医者にかからない人は、薬屋で買った。
お節料理
 「正月三ヵ日は、神々と同じものを食べる」との思想があった。一方、盆暮れというように、日常は質素なものしか食べられなかった時代に、正月には大盤振る舞いで精一杯のご馳走を、また、新年にあたり縁起を担いだ食べ物を食べた。
 もともと、御節(おせち)とは、節句などの年中行事の行われる日のことであった。また、“ おせち ”の語の由来は、宮中で季節の節目に神前に食べ物を備える節供(せちく)からきたといわれる。今では、御節はお節料理ともいい、正月や節句につくるご馳走やお供えの餅をいう。
黒豆  まめまめしく働けるように、まめで達者でいられるようにとの願いからおせち料理には欠かせない素材である。江戸時代には黒豆の煮方に江戸と浪花で差があった。江戸風は、砂糖と醤油で甘く煮付けしわの寄るのは気にかけない。関西風は、糖蜜で煮含め、ふっくらとやわらかく、しわの寄らないように煮る。
 黒豆といえば「丹波笹山の黒豆」が有名。直径8mmの大きさで重く、表面に白い粉をかぶる。篠山では、12個の黒豆をいろりに端に並べ、その焦げ具合で来年12ヶ月の天候を占う行事が大晦日に近年まで行われていた。また、元日の朝は、豆の枝を燃やしてその茎の燃え具合で農作物の豊作凶作を占ったという。
数の子  今では貴重品になっている数の子は、昭和の初期までは豊富に獲れた貴重な蛋白源であり、栄養価が高いため子孫繁栄を祈って正月料理として食べられた。
ごまめ  田作とも呼ばれ、小形のカタクチイワシを乾燥したものを田作なますなどにして正月や田植え時期の五穀豊饒を祈って食べられた。イワシは今では貴重魚であるが、昔は田の肥料として使われたため田作といわれる。
鮭 vs. ぶり  正月に食べる魚の代表的なものに鮭とぶりがあり、一般的に東日本は鮭、西日本はぶりを食べ、その分岐線は糸魚川静岡構造線(地震が心配される)と呼ばれる地帯である。その理由は、昔は保存方法が塩漬け程度であり、近くの沿岸で獲れる魚が即食卓へ上ったことによる。すなわち、東日本の沿岸では鮭が豊富に獲れ、西日本ではぶりが獲れたことによる。
 新潟県越後川へは鮭が遡上していた昔から今でも鮭を年取魚、正月魚として食べられている。また、三陸沖の親潮と黒潮がぶつかる潮目へ戻ってきた鮭が津軽石川や閉伊川を豊富に遡上し獲られる。もちろん北海道では、アイヌの主食は鮭といわれたほどであり、いろいろな料理法で食べられている。
 ぶりで有名なのは、飛騨ぶり、ぶり街道などで知られる氷見のぶりである。氷見で獲れた脂の乗った最高のぶりは、岐阜県飛騨地方や長野県松本地方では、正月料理の主役である。
 博多では雑煮に塩ぶりを入れる家庭が多く、買った一匹丸ごとのぶりを正月15日の骨正月までとことん食べ尽くすといわれる。
鯛 (たい)  めでたいに通じる語呂合わせで、江戸時代にはじまった七福神信仰とも結びついて正月料理に加わった。
クワイ
(慈姑)
 中国原産のオモダカ科の水生多年草。オモダカ(沢瀉・面高、葉面に隆起した模様があることからついた名前という)の変種。塊が白い白クワイと青クワイがあり、日本と中国だけが地下の塊茎を食用にする。葉は大きな矢じり形で葉柄が長く大きな芽をつけることで、「芽が出る=めでたい」と縁起を担いで、正月料理うあ祝い膳に用いられる。煮るときにクチナシの実を入れ、より黄色に仕上げる。また、薄く切って油で揚げたクワイせんべいもある。塊茎には、デンプン質が豊富で、リン、ナイアシン、老化防止に効果があるVEも多い。湿田で栽培される。
 安土桃山時代には、豊臣秀吉が低地帯で水藍を栽培し、裏作にクワイを植えさせたという。
 中国では、クワイの地下茎の先端に多くの塊茎をつける形から、子供を慈しみ乳を与えている女性(姑)に見立てて“慈姑 ”の字を当てたという。
里芋  里芋には、子芋がいっぱいつくことから、子宝にめぐまれるようにと縁起を担いだ。
橙 (だいだい)  ゆず・すだち・かぼすなどの柑橘類が、味・香りなどそれぞれ個性がある食酢として、鍋物には欠かせないが、橙も食酢として優れているが、生のものは一般に売られていない。しかし、「ポン酢」は、橙の搾り汁を意味するオランダ語の「ポンス」が語源という。
 橙は、晩秋に橙色に熟すが、そのまま木に残すと、翌年の春にはまた青い実になり、秋になると再度色づく。このように新旧代々の実が木になることから“ 代々 ”に通じるとした語呂合わせが由来という。子孫が代々繁栄するようにとの願いから主にお鏡など正月の飾りに使われることが多い。
錦卵
(にしきたまご)
 卵の黄味と白味の“ ニ色(にしき) ”と、豪華な“ 錦 ”(にしき)との語呂合わせ。
栗金団
(くりきんとん)
 古くの栗金団は、栗餡(白餡に栗の実を細かく刻んでまぜたもの)を丸めたものであった。現在の形になったのは明治以降という。
 “ 金団 ”とは、黄金の団子という意味もあり、くちなしの実で黄色に仕上げた栗金団は、見た目の色合いのよさから、正月料理に加わったとされる。
金平牛蒡
(きんぴらごぼう)
 江戸初期に誕生した牛蒡料理で、当時、ヒットした浄瑠璃の坂田金平にちなんで、金平牛蒡と呼ぶようになった。牛蒡と人参は栄養が多く、精も付くとされることから、坂田金平の強さと丈夫さをイメージして命名されたという。
伊達巻き  “ 伊達 ”とは、人目をひく、派手なこと、あかぬけて洗練されていることなどの意味で、卵巻き料理にその伊達をつけ正月料理に加わったという。
兎の吸物
 元旦の将軍家のお膳には、吉例として「兎の吸物」が出たという。これは、徳川家康の祖父の松平清康が流浪し、信州の一地方の領主の光政に身を寄せていたときのある元旦の料理の一つとして、光政が狩で獲った兎を出した。それ以来、清康は運が開き、三河の国主となり、孫が征夷大将軍までなった。これを吉例として、徳川家では、元旦に兎の吸物の羮を出すようになったという。
食積・蓬莱台
 江戸時代に、簡単に食べられるものを三方に載せたものを食積(くいつみ)といい、賀詞客にふるまった。江戸末期には、単なる飾り物なり、三方に生米を敷き詰め、勝栗・梅干し・蜜柑・干し柿・昆布・橙などを飾ったという。京阪では蓬莱台(ほうらいだい)といい、三方に松竹梅を飾り、白米を敷くこともあり、その上に蜜柑・橙・串柿・昆布・伊勢エビ・榧などを置く。
福茶・大服
 お茶と昆布・黒豆・山椒・大豆・梅干しなどを煮出した茶で、大晦日や正月、節分などで飲まれた。江戸は福茶、京阪は大服といわれた。
初 湯
 江戸の湯屋の初湯は、元旦から七草まで、通常より高い特別料金(十二文)で紙に捻って番台に置かれた三方へ入れた。当時の湯銭は、8〜12文。
初 詣
 初詣は、新年の最初に「恵方」を拝むと福が来ると信じられたことが始まりである。この恵方詣(吉方詣)の「恵方」とは、中国の陰陽五行説に由来し、歳徳神が回座する方位である。この方角の神社・仏閣に参拝する。除夜の鐘が鳴り始めた頃(旧年)から神社へ詣りにでるのは「年越し詣」という。「初詣」は、雑煮を祝ってから、正装して出かけるのをいい、新年の誓いと今年一年の家内安全・商売繁盛などを祈る。
 「恵方」の方角は年によりかわる。ちなみに平成16年以降の方向は、つぎのとおりである。
年 号 平成16年 平成17年 平成18年 平成19年 平成20年
甲(きのえ) 乙(きのと) 丙(ひのえ) 丁(ひのと) 戊(つちのえ)
恵方 甲の方 庚の方 丙の方 壬の方 丙の方
●人出の多い神社・寺院
 1)明治神宮(東京都)  2)成田山新勝寺(千葉県)  3)川崎大師(神奈川県)  4)伏見稲荷(京都市)  5)住吉神社(大阪市)  6)鶴岡八幡宮(神奈川県)  7)太宰府天満宮(福岡県)  8)大宮氷川神社(さいたま市)  9)浅草寺(東京都、家内安全・商売繁盛・心願成就・身体健全・厄除け・交通安全)  10)熱田神宮(名古屋市)
 ・神田明神(東京都、開運招福・商売繁盛・縁結び・病気平癒)  ・柴又帝釈天(東京都、開運招福・病気平癒・家内安全・商売繁盛)  ・日枝神社(東京都、開運招福)
 なお、祭りだ!屋台だ!亭主は、神田明神と近所の神社へ初詣に行く。
恵方詣
 「人の行く方へ 我行く恵方哉」  (波 羅)
2004年から100円になっていた
近頃珍しい50円のおみくじ。
おみくじ(御御鬮・御神籤)
 神仏に祈願して、事の吉凶を占う“くじ”で一般に「大吉」「吉」「小吉」「凶」「大凶」などがある。吉凶や番号をしるした多くの串を匣(はこ、普通角形、箱・函・筥・筐と同意語)、または筒に入れて小孔から振り出してとる方法や、吉凶を書いた紙が入っている箱から直接取り出す方法などがある。凶や大凶などが出た場合、続けて引くと吉や大吉が出る場合がある。また、年始には大吉や吉が出る確率が高い。

 おみくじの由来は、天台宗の僧で別名を良源といい、正月3日(元三)に入寂したところからその名が付いた「元三慈恵大師良源上人」(912〜985)とされている。江戸時代初期、上野寛永寺の天海大僧正(1536〜1643)は、常々慈恵大師に帰依していた。ある夜の夢枕に慈恵大師が現れ、「信州戸隠山明神の宝前に観音百籤がある。これは、人々の困難を救うために観音菩薩に祈念していただいたものである。これを影像の前に置いて吉凶禍福を占えば、禍福を知ることができる。そして衆生を利益せよ」とのお告げがあった。確かに戸隠に偈文百枚が納められていた。この百枚の偈文に番号を付けて番号を引くようにしたところ、願う事柄の吉凶が得られたという。(出典:丸亀市妙法寺)
G天海:江戸初期の天台宗の僧で、南光坊と称す、諡号は慈眼大師。川越市喜多院などに住み、後に徳川家康の知遇を受け、内外の政務に参画、延暦寺の復興と日光山の整備にも尽力した。家康の死後、東照大権現の贈号と日光山改葬を主導した。また、寛永寺を創建し、大蔵経を刊行、天海版といわれた。
破魔矢
 古くは、縄を巻いてドーナツを作り、これを投げ上げて穴を弓矢で射る正月の遊びがあり「はな矢(浜矢)」といった。このドーナツが「はま」で、弓が「はま弓」、矢が「はま矢」であった。後年、「はま」の語呂に合わせて「破魔」が当てられ新年のお守りとして神社で配られるようになった。
 矢と弓には、霊力があると信じられていた。素戔嗚尊が死の国へ身罷った母の伊弉冉尊が恋しく、姉の天照大神に訴えようと高天原へ行ったとき、勘違いがあり天照大神は千本の矢が入った筒を背負い、五百本の矢を入れた矢筒を抱えて、弓を振り鳴らして待ちかまえた。この弓と矢は、この世とかの世を繋ぐ呪術の道具とされ、霊力があるとされているという。

 (出典:俳人・長谷川 櫂)
初 夢
 古くは、節分の夜に見る夢とされたが、現在は1日の夜、2日の明け方に見る夢をいう。昔は夢は神仏の示しであるとし、夢見を気にして、吉凶を占った。それだけに初夢はよい夢を見たいとして、宝船の絵を枕の下に入れて寝た。
 めでたい夢は一般に、一富士、二鷹、三茄子とされる。富士は富士山をあらわすわけでなく、曾我兄弟富士裾野の仇討ち、鷹は赤穂浅野家の紋所で赤穂浪士の仇討ち、なすびは伊賀上野の荒木又右衛門の仇討ちを意味した成語(古人がつくり、後人によく引用される語句)であるとの説もある。どちらにせよ、宝船、富士、春駒の初夢は縁起がよいとされた。
宝 船
 宝船の起こりは、室町時代の足利将軍家や公家が、吉夢祈願と悪魔払いのために、節分の夜に使ったといわれる。その頃は、宝船は簡単な稲束や俵を積んだ船を描いた木版画であった。古くは、大晦日の夜から元旦の暁に見る夢をいった。
 江戸時代になると、絵柄は次第に賑やかなものになり、七福神が乗るようになった。正月元旦には「オタカラ オタカラ」と威勢のいい売り声を張りあげて、宝船売りが出た。買った絵を、2日の明け方に縁起の良い初夢が見られるように枕の下に敷いて寝た。もし、気に入らない夢であっても、宝船の絵を川に流せば、悪夢の厄もいっしょに流れ去るとされた。絵には、「ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな」という廻文(かいぶん、上・下から読んでも同じ語句)の歌が書いてある。
 明治時代になると宝船の人気は、下火になったが、大正時代になると京都でブームが再燃した。絵柄も七福神のみならず、定番としては稲穂や七福神であるが、縁起がよければなんでもありとなった。例えば、達磨、福助、千・万両箱、干支に因んだ動物、鯛・鮑・伊勢海老などの魚、守護神などいろいろ登場した。なんと、竹久夢二が描いた「ゴンドラ宝船」も、京都島原遊郭にある住吉神社で領布されていた。
 宝船を領布している神社。
G東京:五条天神社(上野公園)、十番稲荷神社(麻布十番)、妻恋神社(湯島)、向島百花園(湯島)など
G京都:今宮神社(北区)、春日神社(左京区)、貴船神社(左京区)、五条天神社(下京区)、若宮神社(東山区)など
G大阪:大阪天満宮(北区)、堀川戎神社(北区)
七福神巡り
 全国の七福神巡りは、約200カ所、また一カ所で七福神巡りができるところも約45カ所ある。しかし、市の数が約700もあり実際はもっと多いと思われる。
 七福神巡りの発祥は、京都で都七福神の巡拝が始まったのは、室町時代といわれている。七つの神社寺院になったのは、仁王般若経の「七難即滅、七福即生」など諸説がある。
 東京・京都・奈良・大阪の七福神の例。
七福神名 恵比寿神 大黒天 毘沙門天 弁財天 福禄寿 寿老人 布袋尊
隅田川七福神
(墨田区)
囲神社 三囲神社 多聞寺 長命寺 向島百花園 白髭神社 弘福寺
深川七福神
(江東区)
富岡八幡宮 円珠院 竜光院 冬木弁天堂 心行寺 深川神明宮 深川稲荷神社
日本橋七福神
(中央区)
椙森神社
宝田恵比寿神社
松島神社 末廣神社 水天宮
小網神社
小網神社 笠間稲荷神社 茶の木神社
谷中七福神
(台東・荒川・北区)
青雲寺 護国院
経王寺
天王寺 不忍池弁天堂 東覚寺 長安寺 修性院
下谷七福神
(台東区)
飛不動正宝院 英信寺 法昌寺 弁天院 入谷鬼子母神 元三島神社 寿永寺
浅草名所七福神
(江東区)
浅草神社 浅草寺 待乳山聖天 吉原神社 今戸神社
矢先神社
石浜神社
鷲神社
橋場不動院
柴又七福神
(葛飾区)
医王寺 宝生院 題教寺 真勝院 万福寺 観蔵寺 良観寺
(寶袋尊)
小石川七福神
(文京区)
深光寺 福聚院 源覚寺 極楽水
徳雲寺
東京ドーム 宗慶寺 真珠院
京都
都七福神
ゑびす神社 妙円寺 東寺 六波羅密寺 赤山禅院 革堂行願寺 満福寺
奈良
大和七福神
信貴山
朝護孫子寺
当麻寺
中之坊
久米寺 子嶋寺 小房観音 安部文珠院 談山神社
大阪
大阪七福神
今宮戎神社 大国主神社 大乗坊 法案寺 長久寺 三光神社 四天王寺
布施堂
お年玉
 もともとは儒教の教えとの説もあり、今でも正月(旧暦)に中国や韓国でも子供にお金を与える風習がある。中国のお年玉は、“ 圧歳銭 ”といい、新しい年が無事に過ごせるようにとの意味であるという。お金は、赤い封筒にいれて渡すことから“ 紅包 (hong bao) ”と呼ばれる。

 日本のお年玉の意味や由来にはいろいろな次のような説がある。
1)“ 年賜(としだま) ”の意味で、その語源は、年神様に奉納された鏡餅を参拝者に分け与えた神事 から来ている。鏡餅は鏡を形取った物で、鏡は魂を映すもの、「魂=玉」であるとされることから、歳神様の玉、すなわち、「年玉」という。鏡餅を頂いた参拝者が、小さく割って家族や使用人に半紙に包み分け与えたのが「お年玉」の起源ともいう。
2)“ 年魂・年霊 ”の意味で、歳魂・年霊は歳神の心霊のことで、年頭には心霊を授かって新たな生命力を得る儀式を行っており、その神様からもらった魂を、分け与えるのが、本来の年玉だった。
3)むかし、正月の挨拶で、“ 御年始 ”、“ 御年玉 ”と称して、贈答物を持参することがさかんになり、それが形を変えて家人への贈答物を“ 御年賀 ”、“ 御年始 ”といい、子供へのおみやげを“ お年玉 ”と使い分けるようになった。

 お年玉袋を“ ポチ袋 ”というところがあり、その語源は僅かとか心ばかりの意味の古い関西弁の“ ぽちっと ”、関東弁の“ これっぽち ”からという。
 地方によっては、正月の神詣りや若水迎えに供える供物の洗米や米を“ オサゴ ”“ 年玉 ”という。
御礼初登城
 江戸時代、元旦の朝6時頃、御三家・譜代大名・お役人が装束を整し、供揃いをつれて江戸城へ拝賀に登城した。2日の6時頃、国主・城主・諸役人が登城し、8時頃には江戸御用達の町人が拝賀を行った。また、3日には諸大名の嫡子が、6日には寺社僧徒社人山伏などが登城した。
年始廻り
  年始廻り・年礼:武家・町人を問わず、礼服を着て、親戚故旧を行き来して、新年の賀辞を交換した。当時の年賀の挨拶は“御慶(ぎょけい)”といった。

  門礼・門礼者:あまり懇意でない家などでは、座敷へ上がるなどなく、門口で挨拶する。また、玄関に年礼帳・年始帳が置いてあるところでは、書き込む。
  上戸の礼:酒を飲める人は、座敷へ上がり、雑煮や屠蘇を振る舞われた。複数の家へ廻る者は、酩酊して帰宅した。飲む人の年始廻りを上戸の礼といった。
  下戸の礼:酒を呑まない者は、雑煮などを振る舞われる。飲めない人の年始廻りを下戸の礼といった。
  年礼の年玉:財のある町人は、裃に威儀を整し、年玉を入れた挟み箱を共に担がせて廻った。庶民の年玉は、ばらばら扇(形だけの扇)・鼠半紙・箸・貝杓子など程度のものであったという。
  女性の年礼:年賀の客の応対に忙しい女性、とくに嫁は、松過ぎに実家などへ出かけた。
芸 人
 江戸時代には、TVやDVDなどはなく、いろいろな芸人が町を廻った。芸人は、三河万歳・鳥追(門口で三味線を弾き、銭や穀物など貰う門付芸人)・大黒舞い(大黒様の装束で門付をする)・傀儡師(背負った箱に人形を入れ、腰の鞨鼓を叩きながら歩き、人が集まると、人形の舞いをする)・太神楽(太鼓・笛の囃子で獅子舞・独楽廻し・皿廻しなどの大道芸)・猿廻しなどであった。
松の内・松七日・注連の内
 松の内は、「松飾り・門松」を飾っておく期間をいい、近年は、1月7日までをいうが、本来は小正月の15日までであった。松の内を過ぎると「松過ぎ・松明け・注連明」ということもある。
姫始め
 1月2日をいい、諸説ある。
 一.新年の初めての夫婦交合の日。
 二.衣服を縫い始める日。
 三.洗濯・張り物を始める日。
 四.姫飯(ひめいい)〔祭辞典〕を食べ始める日。
 五.火や水を使い始める日。
 六.飛馬(ひば)始めの日、馬の乗り初めの日。
上野東照宮参拝
 8日に、諸大名は、行列を揃えて、神君が祀られている上野東照宮を参拝した。
七 草
 1月7日に七草が入った粥を食べる習わしをいいい、「七草の節句」の略である。七草粥を食べると邪気を払い万病を除くといわれる。
 中国では1月7日のことを「人日」といい、七種菜羹(七種の野菜の羮、あつもの)を食べ、無病を祈る風習があった。江戸時代には日本でも、人日は五節句の一つで、将軍以下諸侯が七草粥を食べた。また、古くは延喜式にもでており、平安時代には1月15日に粥に米・粟・黍・稗・み子・胡麻・小豆の七種類の穀物を入れていた。
 春の七草は、芹・薺(ペンペン草)・御形(母子草)・繁縷(ほこべ)・仏の座(田平子)・菘(蕪)・蘿蔔(大根)であり、これらを6日から7日の早朝にかけてまな板の上で包丁で刻む。このとき子供たちが囃子唄を歌う風習があった。
鏡開き・鏡割り
 1月11日に神様にお供えした鏡餅を下げて食べる神人供食の祝いの儀式である。寛永年間に始まったといわれ、1月20日に行われていたが、徳川三代将軍家光が20日に他界したため、11日になった。鏡餅は刃物で切らず、手や槌で割る。縁起を担いで切るといわないで、開くという。
 注連飾りを焼く、「どんど焼」の火で割った鏡餅焼いて食べると風邪をひかないといわれる。どんど焼は、左義長ともいい、小正月の火祭りとして、14日の夜に焚くところもあるし、15日の朝に行うところもある。
小正月
 旧暦1月15日をいい、また、「人の正月」「女正月」「花正月」ともいう。元旦を「大正月」といい、15日を小正月という。旧暦では、新年の最初の満月の日、すなわち、旧暦1月15日が元旦であったが、新暦になり1月1日を初日としたため、1月1日を大正月、15日を小正月と呼んだ。
 「女正月」と呼ぶのは、普段忙しく働いている女性に変わって、男性が料理を作る日とされたことによる。昔の奉公人の休日でもあった。奉公人の休日は、三元といい、上元の日1月15日、中元の7月15日、下元の10月15日とされていた。
二十日正月
 旧暦の1月20日で正月の終わりの節目の日で、正月の行事はお終いの日で、かっては、仕事を休む物忌み(ものいみ、祭辞典)の日であった。
 群馬県では棚探し、岐阜県フセ正月、岩手県では二十日ワッパカ、石川県では乞食正月・奴正月などといい、正月の料理や餅を食べ尽くす地域がある。また、京阪神地方では、骨正月・頭正月ともいい、正月の鰤の骨・頭を20日間粕漬けし、野菜・大豆などと一緒煮て食べる地域がある。
今年の決意・参考資料
● ベンジャミン・フランクリンの 「十三の徳」 (Benjamin Franklin :1706〜1790、アメリカの政治家・科学者・著作家、ペンシルバニア州知事、稲妻が電気と同じであることを雷雨の中でタコをあげて実証、避雷針を発明)  (青山 吉信訳)
1)節制:心身が、にぶくなるまで食うな。酔うまで飲むな。
2)沈黙:自他にとって無益なことは語るな。無駄口を慎め。
3)規律:すべての物は場所を定めておき、すべての仕事は時間をきめて行え。
4)決断:なすべきことをなそうと決心せよ。いったん決心したことはかならず実行にうつせ。
5)倹約:自他にとって無益なことに金銭を使うな。浪費を慎め。
6)勤勉:時間を空費するな。つねに有益なことを行い、すべて無用なことはなすな。
7)誠実:いつわりによって他人に害を与えるな。邪気を去って公正に考え、考えたことを口に出すようにせよ。
8)公正:有害なことして、他人を傷つけるな。
9)中庸:何事も極端になることを避けよ。当然怒るべき害を受けたときにも激怒するな。
10)清潔:身体、衣服、住居の不潔はがまんするな。
11)平静:小事や日常のできごと、また避けることのできないことがおこったときに心の平静を失うな。
12)純潔:性交は主として健康のため、また子孫をもうけるためにのみ行い、これにふけって心身を鈍くし、身体を弱め、また自他の平静や評判をそこなうことのないようにせよ。
13)謙譲:イエスとソクラテスにみならえ。

● 徳川吉宗(八代将軍)の座右の銘 (享保世話)
1)苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし。
2)主人と親は無理な (ことを言うもの) 者と思え、下人 (下の使用人) は (考えが) 足らぬ者と思え。
3)掟に怖じよ、火に怖じよ、分別なき者に怖じよ。恩をわするることなかれ。
4)慾と色を敵と知るべし。
5)朝寝すべからず、話の長座すべからず。
6)小なることも分別せよ、大 (きな) こととて驚くべからず。
7)九分は足らぬ、十分はこぼるると知るべし。
8)分別は堪忍にあると知るべし。

● 「青春」サムエル ウルマン (作山 宗久訳)
N青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、たくましい意志、豊かな想像力、炎える情熱をさす、青春とは人生の深い泉の清新さを言う。
N青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。年を重ねるだけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。
N歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥になる。

● リーダの資質 (今西 錦司 京都大学名誉教授)
1)人間的魅力がある
2)覚悟ができている
3)洞察力がある

● Open Mind Feedbackの主な評価項目
1)評論家にならず、提言家・実践家になれ。
2)己より一段上の立場に立って考えろ。
3)組織の壁を越え「会社を良くすること」を目指せ。
4)他人の仕事に常に関心を持ち意見交換せよ。
5)議論の段階では異論・反論を歓迎せよ。
6)決定には可能な限り、その理由を説明せよ。
7)信じることを勇気を持って成し遂げる。正しいと思ったことを自信を持って述べよ。
8)上司の言うことを絶対とするな。疑問・反論はどんどんぶつけろ。上司に「相談」することで、自らの責任を不明確にするな。
9)権限と責任を部下の能力いっぱいまで与え、最終責任は自らが取れ。部下が決定すべきことについて決定を求めてきたら、突き返せ。

● 杉田玄白の「養生七不可」
養生訓の実践者であった杉田玄白が古希の祝いをきっけかに「養生七不可」を書いた。
1)昨日の非は恨悔すべからず。(過ぎたことにくよくよするな)
2)明日の是は慮念すべからず。(ふかく考えるな)
3)飲と食とは度を過すべからず。
4)正物に非れば筍しくも食すべからず。(出所がはっきりしない物は食べるな)
5)事なき時は薬を服すべからず。
6)壮実を頼んで房(セックス)を過すべからず。(65才で子供を作っている)
7)動作を勤めて安を好むべからず。
・過し世もくる世もおなじ夢なれば けふの今こそ楽しかりけれ(上記養生七不可を書いた年に詠んだ)
杉田玄白:貝原益軒から100年後の1733〜1817の江戸中期の蘭医。名は翼(さすく)、字は子鳳、号は斎(いさい)。江戸の小浜藩邸に生れ、代々藩の外科医。前野良沢らと「解体新書」を翻訳した。著書に「蘭学事始」「形影夜話」「野叟独語」「耄耋独語(ぼうてつ)」などがある。

● 江崎 玲於奈 (2007年1月1日 日経新聞 私の履歴書より)
ノーベル賞の秘訣:してはいけない五ヵ条:必要条件
1)今までの行き掛かりにとあrわれてはいけない。しがらみとという呪縛を解かない限り、思い切った創造性の発揮は望めない。
2)教えはいくら受けてもよいが、大先生にのめりこんではいけない。のめりこむと権威の呪縛は避けられず、自由奔放な若さを失い、自分の想像力も萎縮する。
3)無用ながらくた情報に惑わされるな。20Wで動作する限定された頭脳の能力を配慮し、選択した必修の情報だけを処理する。
4)自分の主張を貫くために、戦うことを避けるな。
5)子供のようなあくなき好奇心と初々しい完成を失うな。
 G自分の経験から、ティーンズ(13〜19才)の経験は人間形成にかなりの影響がある。
 G知的能力は二元性を持ち、一つはものごとを理解し判断する分別力と、もう一つは新しいアイデアを生み出す想像力である。この二つは、20〜70才で分別力は0から100へ、想像力は100から0になる。この二つは45才で拮抗しミドル・エイジ・クライシスを迎える。45才前後で大きな仕事ができる。

● 論語:為政第二
七十にして心の欲するところに従いて、矩をこえず。
子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。
訳:十五にして勉学に志し、三十にして我が身をたて、四十にして迷わず、五十にして天命を知る、六十にして異見も聞き、七十にして心のままにしても節度(のり、標準として守るべき事柄)を越えない。

● 斎藤 茂太:精神科医・エッセイシスト
熱中にまさるストレス退治法なし。

● 貝原益軒 (立川 昭二NHK人間講座より)
「養生訓」で、からだは心によって養われ、心は体によって養われるとの考えから、次のように心の養生を優先して説いている。
「常に元気をへらす事をおしみて、言語をすくなくし、七情をよきほどにし、七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひをすくなくすべし。慾をおさえ、心を平にし、気を和にしてあらくせず、しづかにしてさはがしからず、心はつねに和楽なつべし。憂い苦しむばからず。是皆、内欲をこらえて元気を養う道也」
また、この中の七情のうち特に「怒り」と「欲」を大敵としいる。
「七情は喜怒哀楽愛悪慾也。医家にては、喜怒憂思悲恐驚と云。又、六慾あり、耳目口鼻身意の慾也。七情の内、怒と慾との二、尤徳をやぶり、生をそこなふ。忿を懲らし、慾を窒ぐは易の戒なり。忿は陽に属す。火のもゆるが如し。人の心を乱し、元気をそこなふは忿なり。おさえて忍ぶべし。慾は陰に属す。水の深きが如し。人の心をおぼらし、元気をへらすは慾也。思ひてふさぐべし。」

● 「誰のために愛するか」
 日本人は西洋人と違って、夫婦の愛情の表現が多少違うから、「お前はいつ見ても美しい」など言わないからと言って、愛していないことにはならない。「うちのおばさん」と三浦は私のことを言うが、こういう言い方は妙に安定している。それで私も「うちのおじさん」と呼ぶことにしている。
 しかし、けなしながらほめることだ。子供でも女房でも夫でも、必ずほめた方が、第一自分が楽しい。
「あなたのステテコ姿って、わりといいわよ。いかにも日本人的で。なんだか出世しそうな後姿だわよう」と女房に言われれば、少し大人げのある夫なら、よく考えてみるとプヂョク的な要素も多々あれどなんとなく、自分こそ大和男子の代表のような気持ちになれないこともなくて、「ばか言え」などと言いながら、けっして怒ってはいない。
「お前くらいどっしり太ると、安定がよくていい。おい太郎、嵐の日に出歩くときは、母さんの後を歩きなさい」
デブだということは悲しいが、しかしそれが実用的であれば、女は満足してしまう。
 こういういい方のできる夫婦は、まず家庭が明るい。私のみるところでは、ステキな夫婦はどこか危機感をはらんでいる。滑稽な夫婦は安定がいい。滑稽というのは弱点がむき出しにされることで、その弱点を愛してしまつたら、他にどんな立派なきれいな女、二枚目の男が現れょうとも、夫婦はめったなことでは心をうつされないのである。
● 「思想と現実の落差」
功績など 人間性
ルソー 1712〜1778。フランスの作家、啓蒙思想家とされ、「人間不平等起源論」「社会契約論」などで民主主義理論を唱えた革命の先駆者といわれる。また、「新エロイーズ」などで情熱の解放を謳ってロマン主義の父と呼ばれ、「自然にかえれ、エミールで教育論」などで自由主義教育を説いた。 自己中心で喧嘩っ早く、洗濯婦との間の五人の子供を施設へ捨てた。
マルクス 1818〜1883。「資本論」を書いたドイツの経済学者・哲学者・革命家。エンゲルスとともにドイツ観念論、空想的社会主義といわれる初期社会主義、および古典経済学を超越したとされる科学的社会主義を創始し、資本主義体制を批判し、終生国際的社会主義運動のために尽した。 思想とは裏腹に浪費家であった。母は“ 資本について書くよりも、いっそ資本を蓄えたらいいのに ”といっていた。
トルストイ 1828〜1910。ロシアの小説家・思想家・教育事業家。「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」など長編小説を書いた。道徳的人道主義を説き、社会批判、正教会批判、新芸術を批判した。 俗物的な面があり、晩年は土地を買いあさった。
年末年始に使われる用語
用 語 語  彙
暮れ・歳暮 “ 歳暮 ”は、年の暮れをいう。日本は長年陰暦を使っていたが、明治5年(1872)に太陽暦に替わった。この明治5年12月2日に明治6年1月1日に替わり、この年には歳暮がなかった。
“ 数え年 ”は、年が替わると年を取るという、一つの節目としての重みがあった。
中国の詩人も年の暮れに対し、思い入れがある詩を作っている。
「蟋蟀(しつしゅつ) 堂に在り 歳は聿(ここ)に其れ(それ)莫る(くる)」
“ 寒くなってコオロギが家に入ってくると、今年ももう終わりに近い。さあ今のうちに楽しんでおかないと、時間はどんどん過ぎ去ってしまう ”
除夜の詩として
「眠らんと欲して眠らず 除夜に座す雲天 此の夜 芳春に秀ず」
“ 眠くても眠らずに座ったままで除夜を明かす、雲のかかったこの夜の空はかぐわしい春にもまして素晴らしい ”眠らずに明かすことを“ 守歳(歳を守る)という。
(出展:京都国立博物館長 興善 宏、日経新聞)
謹賀新年・謹賀新春・恭賀新春
(きんが)
つつしんで(うやうやしくかしこまって)新年のよろこびを申し上げること。
恭賀新年・恭賀新春 (きょうが) うやうやしく(恭しく、礼儀にかなって丁重に)祝うこと。
賀正 (がしょう、がせい) 新年を祝うこと。“ 正 ”は、正月を表す。
慶賀 (けいが) よろこび祝うこと。
寿・福・春・賀・禧・迎春・寿春・初春 年賀状などに使う、お祝い・よろこびを表す言葉。
あけまして 年が替わり新年になったことをいう。したがって、「新年 あけまして」はダブッタいい方で使わないほうがよい。
   
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