| 行事名称 | 唐椀供養、仁王の股くぐり | ||||||
| 行事開催日 | 3月27日〜29日、10月27日〜29日 | ||||||
| 行事内容 と由緒 |
●萬満寺由緒 真言宗大日寺として建長8年(1256)に創建したのが始まりといわれている。大日寺は、当時この地、下総を治めていた鎌倉幕府の御家人千葉頼胤が、鎌倉幕府の将軍家と千葉一族を弔うために、巡錫していた真言律宗・忍性に依頼して建立した。その後関東管領足利氏満が堂宇を建て、時の将軍足利義満の満と氏満の両満をとって室町時代の康暦元年(1379)萬満寺となった。 ●不動明王法要 運慶作といわれる不動明王は、元寇(蒙古来襲、2回にわたり10万もの元軍が日本に来襲したが、2度とも大風により元の船が沈没した)時に北条時宗が忍性菩薩に蒙古軍撃退の祈願させ、撃退した後、千葉頼胤の願いにより不動尊を当地に請し、千葉家武運長久災厄障を祈願した。不動明王は、古来より火難病難、ことに中気(脳溢血、脳血栓など脳の血管が詰まる病気)にご利益がある中気除け不動として信仰を集める全国唯一の不動尊である。(出典:法王山・萬満寺・記網寮の境内の看板) ●唐椀供養 不動尊の真前において忍性菩薩の遺伝の悪魔伏病難災厄障除の護摩祈祷をし、唐国伝来の椀をかたどった器でお経を上げている中でお膳を頂く儀式で、出された料理はすべて食べつくすのが作法といわれる。 この行事は、天正19年(1591)に徳川家康が小金の城へ来た際に、萬満寺へ立ち寄り、お膳を出したのが始まりといわれている。(出典:法王山・萬満寺・記網寮の境内の看板) 10.00〜15.00に護摩焚きに合わせ4回行われる。精進料理と御祈祷料で4500円。(2004年、要確認) ●仁王の股くぐり 鎌倉五代執権北条時頼が、霊夢により仏師運慶に命じて、仁王尊(執金剛神)を彫刻した。像は、全国的に珍しい黒塗りの木造寄木造り。弘安4年(1282)蒙古軍が来襲し国家危急の折りであったことから、時の執権北条時宗が極楽寺の忍性菩薩に鎌倉稲村山に仁王尊を安置して仁皇護国魔軍降伏を祈願させた。 後に千葉頼胤の願いにより当地に仁王尊を拝請し大日寺を建立し、千葉家の武運、災厄障を祈願した。その後、大日寺は千葉へ移転するが仁王尊は霊佛で霊験あらたかであり、そのまま残しておき、千葉氏胤時代に馬橋一ヶ村を寄進して寺名を萬満寺とした。 仁王尊の股をくぐれば病魔災難除け、とくに小児の難病剱難にご利益があるとされ、また、江戸時代には、疱瘡除けの仁王として近隣近郷の評判で、江戸詰めの大名、旗本の代参なども盛んであった。 大正5年(1916)、帝室技芸員彫刻家の高村光雲(作家高村光太郎の父)の鑑定により国宝の指定を受けた。高村光雲が長野・善光寺の仁王尊を造るときの参考にした。昭和25年(1950)に重要文化財の指定を受けた。 (出典:法王山・萬満寺・記網寮の境内の看板) 300円を納め、右側の阿像の股(足の間)をくぐる。 |
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| 寺院名/山号 /宗派 |
萬満寺/法王山/臨済宗大徳寺派 (047-341-3009) | ||||||
| 所在地 アクセス |
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| 本尊 | 不動明王 | ||||||
| 見所 | G不動明王像 G唐から伝えられた魚藍観音像 G秀吉の制礼 G運慶作の仁王像 |
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| 感想 | 巨人元監督の長島さんが中風の病魔に倒れてから、参拝客が増えたといわれています。霊験あらたかに、早く快癒されるとことを祈ります。 |
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