自衛隊の階級
内閣総理大臣(文民 自衛隊の最高指揮官.。
防衛庁長官(文民) 自衛隊の隊務を統括する。
階級 陸上自衛隊 海上自衛隊 航空自衛隊 相当の
外国例
備考
幹部 将官 統幕議長および各幕僚長 大将 陸・海・空将が、統合幕僚会議議長および各隊の幕僚長に就いた場合の階級。
統幕議長は、調整機関である統合幕僚会議の議長で、陸・海・空が持ち回りで就任する。
幕僚長は制服組の各自衛隊を統括するトップ。
陸将 海将 空将 中将 陸・空・海(夏服)将の階級章は、桜が三つ。
将補 陸将補 海将補 空将補 少将 将官のスタート階級。
准将 自衛隊にはない階級。
佐官 一佐 一等陸佐 一等海佐 一等空佐 大佐
二佐 二等陸佐 二等海佐 二等空佐 中佐
三佐 三等陸佐 三等海佐 三等空佐 少佐
尉官 一尉 一等陸尉 一等海尉 一等空尉 大尉
二尉 二等陸尉 二等海尉 二等空尉 中尉
三尉 三等陸尉 三等海尉 三等空尉 小尉 22才以上、26才未満の防衛大学、一般大学、看護学生(女子)の卒業者が採用の対象。
現職自衛官および大学院卒業者は28才未満までが昇進の対象。
准尉 准陸尉 准海尉 准空尉 准士官 一般隊員の最高階級。
一般的な幹部自衛官は、大卒者の三尉がスタート。
曹士 曹長 陸曹長 海曹長 空曹長 下士官 旧日本軍の曹長に相当。
一曹 一等陸曹 一等海曹 一等空曹 旧日本軍の軍曹に相当。
二曹 二等陸曹 二等海曹 二等空曹 旧日本軍の伍長に相当。
三曹 三等陸曹 三等海曹 三等空曹 旧日本軍の兵長に相当。
曹は、専門的な知識や技術が要求される。このため高校卒業者を対象とした2年制の一般陸・海・空曹候補学生の課程がある。
士長 陸士長 海士長 空士長 旧日本軍の上等兵に相当。
一士 一等陸士 一等海士 一等空士 旧日本軍の一等兵に相当。
二士 二等陸士 二等海士 二等空士 旧日本軍の二等兵に相当。自衛隊へ志願すると、一般にこの階級から始まる。任期は陸が2年、海・空が3年で基本的な訓練を受け、昇進する。最初から三曹への任官を目指す曹候補士の制度(選抜)もある。
三士 三等陸士 三等海士 三等空士 自衛隊生徒で、中学卒業後に入学する4年制の学校。卒業すると三曹になる。陸自には少年工科学校(武山)、海自には第一術科学校(江田島)、空自には航空教育隊(熊谷)に生徒隊がある。入学は30倍近い競争で、自衛官の子弟が多い。
徳川幕府の階級
名 称 概  要
将 軍 歴代の徳川家は、朝廷から内大臣、従一位、征夷大将軍などの格式を与えられた。
将軍とは、征夷大将軍の格式で、本来は夷を征する軍事指揮官であったが、その後政権を任せられた称号になった。最初にこの称号を与えられたのは、奈良時代の大伴安麻呂といわれており、最後は徳川15代将軍徳川慶喜である。
大 名 一万石以上で徳川将軍と直接主従関係にあった武士。最盛期には260以上もあった。
“大名”がつく言葉には、大名預け、大名買い、大名貸し、大名芸、大名子、大名旅行などあるが、一般には使われていないものが多い。
例えば、“大名買い”は、広辞苑によれば「商人のいうままにおおように金銭を出し、品物を買い取ること。」とあるが、いまでは一般には使われることは少ない。
三家
御三家
尾張(初代は家康の9男義直)、紀伊(10男頼宣)、水戸(11男頼房)の総称。嫡流は代々徳川姓を、分家は松平姓を名乗った。諸大名中最も高い待遇を受け、将軍に嗣子がないときには、三卿とともに尾張・紀伊両家から継嗣を出した。水戸家には、その特典なく、代々副将軍として扱われた。紀伊家から8代吉宗、14代家茂が出て将軍になった。
三卿
御三卿
8代将軍吉宗の時代に、血縁の薄くなっていた御三家に代わり、嗣子がないときに継ぐ家として新たに設けられた。将軍家の支族で田安(初代は吉宗の2男宗武)、一橋(3男宗尹)、清水(9代家重の2男重好)の三家をいい、尾張・紀伊・水戸の3家の次席。11代家斉、15代慶喜は、一橋家から出て将軍になった。
家門
御家門
将軍家の分家大名で三家と三卿以外で松平姓を名乗った。越前松平家(初代が家康の2男結城秀康)とその分家、会津松平家(秀忠の3男保科正之)、久松松平家、越智松平家などがある。
譜代大名 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い以前より徳川家に仕えていた家、およびその家格に準ぜられたもの。老中や奉行などの要職に就いたが、禄高は一般に5万石以下の小大名が多かった。
外様大名
表大名
徳川氏の家門やその本来の家臣でなく、関ヶ原合戦のときに徳川家に加担した大名。大きな石高の薩摩・島津、筑前・黒田、長門・毛利、加賀・前田、仙台・伊達などあった。幕政には参画できなかった。しかし、一部、外様にも願御譜代家、御譜代並と呼ばれる譜代格として扱われる家もあった。
直参・旗本 将軍直属の家臣で、石高が1万石未満の直参で御目見以上の格式のあった者。御目見以下は、御家人という。
大 老 将軍を補佐する権威のある最高位の職で、幕政全般を統轄した。酒井、土井、堀田、井伊の4家が就いた。例外的に4家以外の者が就任した場合は、将軍補佐、後見人などといった。大老は、酒井忠世、土井利勝、酒井忠勝、酒井忠清、井伊直澄、堀田正俊、井伊直興、井伊直幸、井伊直弼、酒井忠績の10人。老中の上に非常の時に一人置かれた。
老 中 将軍に直属し、幕政を総理し、朝廷・大名の事を扱い、遠国の役人などを直轄した。定員は4〜5名で月番で交替勤務した。2万5千石〜3万石以上の譜代大名から選任された。
少 老
若年寄
老中に対する若年の年寄の意味で、老中に次ぐ重職で将軍に直属し、老中支配以外の諸役人、旗本・御家人を統轄した。定員は、3〜5人で月番制。無城格(城を持たない大名)の譜代大名が選任された。
側用人 天和元年(1681)、5代将軍綱吉により館林藩主時代の家老だった牧野成貞が側衆から登用されたのが最初。将軍側近の最高職で、側衆を監督し、将軍の命令を老中に伝え、老中・若年寄の上申を将軍に取り次ぎ、評定所にも列する譜代大名。格式は老中に準じ、その権勢は老中を凌いだ。
国主大名 複数の国や広い所領を持つ大名で、高い官位と格式が与えられた。加賀・前田、薩摩・島津、仙台・伊達、肥後・細川など外様大名の16家と越前・松平、出雲・松平の御家門を併せた18家。のち陸奥・南部、対馬・宗が加えられ20家になった。
官 位 武家が朝廷から授かる官位は、「公卿補任(参議以上の官、従三位以上の位の補任、その年月などを年次に記したもの」には将軍・大名の名は載らない。将軍へ就くと「正二位内大臣」になり、「右近衛大将(奈良、平安以降、皇居を警衛し、儀式には儀仗を率いて威儀に備え、行幸には供奉・警備した武官の府の一つの長)」を兼ね、死後「正一位太政大臣(律令制で、諸王および諸臣の位階の最上級の太政官の最高位の官)」が贈られた。諸大名の官位は、家ごとにほぼ決まっていた。
陪 臣 家臣の家臣で、又者(またもの)、又家来(またけらい)、内の者ともいう。大名・旗本の家臣は、将軍の陪臣になる。
幕 府 軍旅の将軍が、幕の中で指揮をとったことが語源で、将軍の居所、陣営、また、武家政治の政庁、武家政権をいう。
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