祭りの主役  手
古
舞
 手古舞は手木舞とも書かれ、「木遣などで梃子を操作する役の梃前(てこまえ)」、あるいは「重いものを大勢で運ぶときに、先頭に立って指揮する人の梃子前(てこまえ)」などの当て字で、江戸時代の祭礼の余興の舞だといわれている。また、「江戸時代の吉原などの遊郭で、芸者が八月の八朔の祝いなどで俄(にわか、注1)の行列や獅子、屋台の先頭に男装して行った」との説もある。
 最初は氏子の娘が扮したというが、あとには芸妓が、男髷に台肘(だいつき)の長襦袢を右肌ぬぎにして、伊勢袴・手甲・脚絆・足袋・わらじを着けた男装で、花笠を背に掛け、鉄棒を左に突き、右に牡丹の花をかいた黒骨の扇を持ってあおぎながら木遣を歌ってみこしの先駆をするようになったという。
 祭りの手古舞は、5〜6才から15〜16才の若い娘さんが多く、頭はカツラあり、てぬぐい被りあり、地毛にリボンなどいろいろある。暑い夏祭りでは、かつらは傍目にはかっこよく、また、写真を撮るときなどににっこりしてくれるが、重くて暑くてたいへんだという。鉄棒は右に持っており、左手には提灯を持つ祭りが多い。左右違う柄や色の長襦袢は、片肌脱ぎのイメージか。
 深川八幡まつりの手古舞は、辰巳芸者と有志の人たちといわれ、より昔の手古舞に近い姿である。

注1)八朔:旧暦8月朔日ツイタチのこと。この日、贈答をして祝う習俗がある。
  2)俄(にわか):俄狂言の略で、素人が座敷・街頭で行なった即興の滑稽寸劇、のちに寄席などで興行された。京の島原で始まり、江戸吉原にも移された。明治以後、改良俄・新聞俄・大阪俄といわれたものから喜劇劇団が生れた。演者の名前を書いて付き人が持って歩いたり(素盞雄神社・天王祭)、椅子を持って歩き度々座って休むケースが多い。
深川八幡祭りの手古舞
深川八幡まつりの手古舞は、辰巳芸者と有志の人たちといわれ、数少ない昔の手古舞に近い姿である。木遣りを詠いながら歩くというが聞き漏らした。
辰巳芸者は、江戸深川の遊里・遊郭の芸者をいい、きっぷがよく、張りがある(弛みがない)とされていた。深川芸者を辰巳芸者と呼ぶのは、江戸時代には遊里・遊郭は俗語で日本橋からの方角で呼び、吉原を北国(ほっこく)、深川(洲崎)を辰巳、品川を南と呼んだことによる。ただし、北国・南は、北国芸者などとはいわない。
とちぎ秋まつりの手古舞 成田祇園祭の手古舞
中学生ぐらいになると、髷の鬘をつける。小学低学年の子供も精一杯がんばっている。
男髷は、男性の髷をさす。女性の島田髷は、男髷の若衆髷が変化した日本髪の代表的な髪型で、手古舞でいう男髷とは、この島田髷をさす説もある。
なお、男髷を結う職業を床山(とこやま)、女髷を専門に結うのは結髪師(けっぱつし)ということがある。
手古舞は、山車や神輿の先頭を歩くが、町内毎に20人以上もの手古舞が巡行する祭りもある。
神田祭の手古舞
町神輿を先導する神田祭の手古舞。他の祭りに比べるといくらか年長の人が多い。
  
Page Last Updated 2005.4.14
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