祭りの主役  猿田彦
 猿田彦(さるたひこ、古くはさるだびこ)は、古事記では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、日本書紀では猿田彦命と表記する。ほとんどの祭行列の先頭に見られる。
 猿田彦神は、天照大神の命令で天津彦火瓊瓊杵尊・瓊瓊杵尊・邇邇芸命(ににぎのみこと)が降臨(天つ国から下降する)の際、鈿女命・鈿女命天宇受賣大神を、天の八衢(注1)に出迎え先導し道案内をしたといわれる土地の神・土公神(とこうじん)とされている。
 容貌は魁偉で鼻の長さは7咫(注2)、赤ら顔に長い口髭をはやし、目は八咫の鏡のように爛々と輝き、身長7尺余の神通力を持つとされた。その高徳により、「導きの神」「道開きの神」として困った時や物事の始めに、災厄を祓い幸運をもたらす大神としても高名で、全国に猿田彦の名の付いた神社が多数ある。また、嚮導(きょうどう、道案内)の神としての信仰があり、神幸行列では、先頭に立って祓い導く。
 また、猿田彦は、道案内をしたことから、道祖神と同一視されたり、庚申の申と同じ読みの猿と同一視され、庚申信仰ともつながり、村の道端などに猿田彦が祀られているところもある。

 各地の祭りの猿田彦の衣装は、頭には鳳凰の頭を象ったという鳥甲(とりかぶと)を被り、神楽狩衣に大口袴、あるいは、差袴をはく。赤い顔に長い鼻に長い髭の面、一本歯の下駄を履き、太刀を佩き、右手には仗旗を持つものが多い。しかし、中には、髭がなかったり、下駄が二本歯や雪駄であるなどがある。

 真夏の祭りでは、重い衣装を着け、面を外すこともできず大変な役割であることもあり、大きなうちわに演者の名前を書いて付き人が持って歩いたり(素盞雄神社・天王祭)、椅子を持って歩き度々座って休むケースが多い。

注1)八衢(やちまた):天から降る途中の分岐点。
  2)咫(あた):上代の長さの単位。手のひらの下端から中指の先端までの長さ。一説に、親指と中指とを開いた長さというが、前述の手のひらの下端から中指の先端までの長さとほぼ同寸。
石岡のおまつりの猿田彦
一本歯の下駄で、大股で颯爽と歩く猿田彦。おもわず、ついていきたくなる勢いがある。
猿田彦のトレードマークの一つである一本歯の下駄は、天狗でもおなじみである。昔は、大道芸人、山伏、理髪店の見習い(小僧)や料理店の板前、応援団や坂道を歩く下駄などとして履かれたという。他から見るほど安定が悪いわけでなく、慣れれば普通の下駄よりも歩きやすいという。しかし、それは下駄や草履を履き慣れた人にいえることで、下駄など履いたことのない若い人には、履きこなせない。その証拠に、一本歯の下駄の入手はたやすいのに、雪駄や二本歯の下駄の猿田彦が多い。また、絵の石岡のおまつりでも、別の年の猿田彦は、二本歯の下駄を履いていた。
日枝神社山王まつりの猿田彦 下谷神社祭礼の猿田彦
白い髭が素晴らしい猿田彦。 一本歯のかなり高い下駄を履いた猿田彦。
右手に持つ仗旗は、もともと朝廷で朝賀・即位などのときに大極殿・紫宸殿に立てた儀仗の旗で、日像幢・月像幢や四神旗など多くの旒があった。
四神旗や日・月旗などは、祭りの日の神社や御仮屋に立てられ、神幸祭の行列でも巡行する。
幕末・明治初期の画家の絵金が描いた「岩戸踊」(高知市朝倉神社所蔵)には、天細女命と鼻が男根状の猿田彦の踊る姿が描かれているという。古くは、長い鼻には、このあたりの意味合いがあったと思われる。
古事記には、天細女命に猿女君と名乗れと命じたとあり、猿田彦と天細女命は、結婚したとされる。
花園神社例大祭の猿田彦 三熊野神社大祭の猿田彦 竹内神社例祭の猿田彦
草履を履き、床几を携えて歩く猿田彦。みんなを先導できるか不安? 珍しい白一色の衣装で、髭のない猿田彦。 神幸祭で、ただ歩くだけでなく、太刀を振る所作をしながら歩き、御仮屋の前に置いた年番の山車の上でも所作を演じる猿田彦。
所作は近年始めたが、非常に好評だという。確かに、神幸祭でただ歩いて、子供にあれな〜にと聞かれても答えられない世代になっており、踊れば説明はいらない。
  
Page Last Updated 2005.4.14
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