屋台のからくり人形
 我々が日常生活で意識しないで使っているTV・VTR・DVD・自動車・航空機などは、江戸時代の人にとってはすべてが〔 からくり 〕といえるだろう。大辞林によれば〔 からくり 〕とは「糸・ぜんまい・水などの動力を利用して、人形や器物を動かす仕掛け。また、その仕掛けを使った見せ物」とある。ここでは、この大辞林で定義される〔 からくり 〕のとくに屋台に載るからくり人形について調べた。

江戸時代には、からくりは機関・機巧・絡繰などの字を当てたり、操り人形であることから傀儡(くぐつ)・木偶などとも呼ばれた。「からくり」とされたのは江戸時代からである。
 中国の史書には、からくり人形は紀元前10世紀頃にあったと書かれている。
 日本で記録に残るもっとも古いものは、細工が得意であった桓武天皇の子の高陽親王が作った機械人形とされている。このからくり人形は、親王が建てた京都の京極寺の前に寺の田が旱魃の年に、親王は両手に器を持った人形を作り、人が器に水を入れると人形は器を持ち上げて頭からかぶるからくりを作り、田に置いた。不思議な動きに多くの人たちが水を持ってきて、からくり人形を楽しんだ。その結果、その水で田は潤い旱魃の被害から免れたという。
 平安〜室町時代には、傀儡師・戎回しと呼ばれた人形使いが、首に掛けた木箱の中で小さな人形を操り、銭を貰って歩いたという。また、安土桃山時代なると武将や貴族の娯楽品として座敷からくり人形が登場した。

 庶民の間にからくり人形が広まったのは、早稲田大学杉野橘太郎教授によれば近世以降のことであるとしている。そのからくり人形は、竹田機関座で、最初、江戸にいた竹田近江が万治元年(1658)に子供の砂遊びにヒントを得てからくり人形を作り宮廷へ献上し出雲掾を受領し、翌年更に近江掾を受領したことからからくり芝居の興行を思いたち、大阪に出て寛文2年(1662)に道頓堀に竹田の芝居を創立し、大評判をとり大阪の名物になったという。演し物は、吹き矢・段返り・文字書き・変身など観客から見えないところで糸などで操るものであった。
 しかし、竹田近江4代がほぼ100年にわたり全国で興行したが、永年の興行で飽きられ人気が落ち、明和5年(1768)には閉座したという。

 その後、竹田からくりは江戸・大阪では姿を消し、江戸では歌舞伎などの外連(けれん)が人気を呼び、大阪では人間が直接人形を操る人形浄瑠璃・文楽が人気を呼んだ。
 そして、尾張を中心とした中部地区には祭山車のからくり人形としてそれが現在までも引き継がれている。享保6年(1721)には、徳川吉宗による幕府財政立て直しの倹約令が出て、江戸の屋台が禁止になったりしたが、尾張藩主の7代徳川宗春は享保15年(1730)に世を楽しむ政策で遊興や祭りを奨励したことにより尾張地方の祭りは盛大になり、からくり人形も技を競うことになった。

 享保18年(1733)には名古屋市:出来町・筒井町天王祭東照宮祭・伝馬町の山車に林和靖・鶴のからくり人形が載り、その操り方の指導に京都から初代庄兵衛が来名した。その後も来ていたが、その内に名古屋の玉屋町に住み着き、玉屋庄兵衛と名乗ったのが始まりとされている。

 現存する屋台のからくり人形は、断然中部地区に多く、復元・修理を含めるとその大部分に歴代の玉屋庄兵衛が関わっているといえる。

 このページでは、見物した祭りのからくり人形を集めた。ストーリー性のないものや人形の部分が動くものも入れた。
 からくり人形にどんなものがあるかを下表にまとめた。分類してみたが、各からくりがそれぞれ特色を持たせるためにいろいろな動きなどがあり、極端にいえば各からくりは全部違うといっていいほどであり、分類には多分に無理があった。分類で「綾渡り・変身」が一番多いが、「綾渡り」は、唐子が多くの杭の上を渡り歩いたり、複数のブランコを飛び移ったりする高度なからくりである。また、愛知県の山車には、「麾振り・采振り人形」を載せた山車が多く、巡行中に御幣などを振る。道中を清め、引き手を鼓舞する意味があるのだろう。
 からくり人形を大きく、「座敷からくり」「芝居からくり」「屋台からくり」に分けることがある。文字を書くからくりは繊細な動きで座敷からくりに見られるが、尾張津島秋まつり・向島・中之町車の山車にも見られるのは驚きである。
 屋台のからくり人形は、前棚の麾振り人形や三番叟を除けば、多くは屋根屋台の屋根の下が舞台になっているが、高山祭・古川祭では上高欄の前から6尺ほどの機関樋を差し出し、その上で演技する。この機関樋を使うからくりは、竹田からくりの流れを踏むというが屋台の前部に突き出しているため下から見やすい。
 参考:からくり人形のサイト:科学j技術振興機構:http://scienceportal.jp/reports/robbot/
(参考文献:9代玉屋庄兵衛監修「からくり人形師 玉屋庄兵衛の世界展〜伝承と形象の技のすべて〜」、千田靖子著「からくり人形の世界」など)
分 類 合体・分離
変身
変身・出没 文字書き 面被り
分離・変身
湯立神事 綾渡り・変身 踊り・所作
動き
麾振り人形
台 数 10 17 24 38 26
屋台のからくり人形インデックス
高山祭 古川祭 犬山祭
名古屋出来町・筒井町天王祭 はんだ山車まつり 尾張西枇杷島まつり
尾張津島秋まつり 11 大津祭 13 高岡・御車山祭
伏木曳山祭・けんか山 神田祭 根津神社大祭
日立風流物 伊那の綱火
高山祭
 高山の屋台にからくり人形が入ったのは、享保・天明年代(1716〜1789)で、大阪で流行った竹田からくり人形を取り入れたとされる。その後、文化・文政時代(1804〜1830)に広まり、当時の人形はいずれも京都の人形細工師の手になるものと伝えられる。からくり人形の操り方は、屋台から機関(からくり)樋を差し出して横から操る横引型である。からくり人形が盛んな名古屋地方のものは、ほとんどが人形の下で操る縦引型である。
 現在、からくり人形は、三番叟・龍神台・石橋台・布袋台の4台だけであるが、古くは下表のようにほとんどの屋台にからくり人形があったとされる。これらの中にはからくりは行っていないが残っている人形も多く、屋台に飾ったり、高山郷土館に寄託されている。
龍神:高山祭・春の山王祭 龍神:高山祭・春の山王祭 龍神:高山祭・春の山王祭
からくり名 龍神と唐子
祭名:屋台名 春の山王祭:龍神台
作 者 右絵の初代の人形は文政7年(1824)作で、左絵の現在の人形が新調された昭和52年までの約150年間修理しながら使い続けられた。収納箱には、文化7年(1810)、天保9年(1838)、安政3年(1856)、明治22年(1889)、大正7年(1918)の墨書きがありこの間修理しながら使われてきたことがわかる。この初代の人形は、祭りの日に屋台組に飾られ、左絵の昭和52年(1977)7代目玉屋庄兵衛作が屋台に載る。
備 考 からくりは、屋台の上高欄から突き出した8尺ほどの機関樋を唐子が錦袋に包んだ壺を持って進み先端の輦台に壺を置き、急いで戻る。謡われる謡曲・竹生島に合わせ壺が開き、中から壺の2倍もある赭ら顔の龍神が現れ、撞木を振りかざし、五色の紙吹雪をまき散らしながら荒々しく怒り舞う。操る綱は、唐子が15本、龍神が13本、輦台が3本を、正式には黒紋付、または、裃姿で行う。
三番叟:高山祭・春の山王祭 石橋:高山祭・春の山王祭 布袋:高山祭・秋の八幡祭
からくり名 三番叟 石 橋 布袋と唐子のアヤ(ブランコ)の渡り
祭名:屋台名 春の山王祭:三番叟 春の山王祭:石橋台 秋の八幡祭:布袋台
作 者 4代目の現在の人形は、大正5年に京都の丸平人形店に3000余円で注文、製作に2年を要した。 昭和59年 9代目玉屋庄兵衛作 初代の人形は、文化12年(1815)の箱書きと「京都西六条・せんばいからくり並に舞台道具品々万人形細工師 川崎屋大江卯蔵」とある。
現在の人形は、昭和52年7代目玉屋庄兵衛作。
備 考 浦島の曲に合わせ鈴と扇で所作を演じながら樋を進み、樋の先端に置かれた箱に顔をつけると翁の面を被っている。 石橋人形は艶麗な美女で、長唄・英執着獅子に合わせて踊っているうちに打ち掛けがまくれて尻から獅子に変身して舞う。
風俗壊乱のためとして100余年屋台蔵に安置されていたが、昭和59年に再現された。
石橋人形以前にあった文政3年の箱書のあるからくり人形は、作者細工大時鳥・亮長・秀彦とあり、屋台とともに古川祭・麒麟台へ譲った。
布袋の人形がからくりを演じる。上部に別の樋があり、アヤといわれる5個のブランコを男女2人の唐子が六段崩しの曲にあわせて回転しながら飛び伝い、最後に布袋の肩に乗るストーリ。布袋が左手に持つ軍配からは「和光同塵」と書いた幟がでる。からくりは、36条の綱を8人の綱方が操る。
祭 り 屋台名 概  要
春の山王祭 黄鶴台(廃台) 幕末に廃台になった。からくり人形は、佐野常世の能の鉢木。
麒麟台 天明4年(1784)の大火で屋台・記録が焼失したが、文化3年(1806)の曳順には「夫に捨てられた女が貴船神社の神託により鉄輪を頭に戴いて生霊になる能の鉄輪」のからくり人形があったとある。翌4年には「よしの静」とある。また、他の記録に、文政年間(1818〜1030)にからくり人形を行っていたとある。
鳳凰台 江戸末期にからくり人形を廃止。寛政11年(1799)にからくり人形を大黒天を大黒台に譲ったとあり、以後、鹿島踊と思われる「鹿島踊・かし満」と記録にある。
五台山 享和元年(1801)以降に「邯鄲の夢枕・廬正」のからくり人形があったとされている。
南車台(廃台) 明治中期に屋台とともに廃止。天明5年(1785)と7年に、御玉師二三の指南人形の見積書があり、指南人形のからくり人形があったとされている。
恵比寿台 明和年間(1764〜1772)の記録に屋台の名前が「芦刈」、文化4年(1807)には「花子」とあり、その名前に因んだからくり人形があったと推定されている。文政4年(1821)には「夷」とあり、恵比寿を祀り、からくり人形は玄翁道人が石を払子(ほっす)で叩くと石が割れて玉藻が現れ舞い九尾の狐に変わる「殺生石」であったが明治初年に廃止になる。
崑崗台 文化13年(1816)に現在の崑崗台の名前にあり、その頃から林和靖と鶴のからくり人形になり、唐子が鶴に近づき飛び立つ鶴を捕まえるのを林和靖が叱るストーリー。現在、唐子のみが残る。
應龍台(廃台) 文化3〜13年(1806〜1816)の記録があり、唐子・華夢桜戯・鞨鼓台・鞨鼓童子による桜の木に吊した鞨鼓を唐子が打つからくりがあったとされる。
琴高台 からくり人形があったという記録はない。
大黒台 寛政11年(1799)に鳳凰台から大黒天のからくり人形を譲り受け祭神とした。現在も首を振ると下を出す糸が残る。
青龍台 文化34年(1807)に道成寺の踊りのからくり人形があったのではないかとされるが、天保3年の大火で屋台焼失後のからくり人形の復活はない。
秋の八幡祭 金凰台 文政元年(1818)建造時のからくり人形は、釣り竿を持った神功皇后の鮎占いだったのではないかとされる。現在は、神功皇后と武内宿禰の人形が載る。
文政台(廃台) 大瓶猩々の人形を飾るがからくり人形があった記録はない。明治8年の大火で焼失後再建されていない。
牛若台 伝えで弁慶の肩に扇を持つ牛若丸が乗っていたというが明治8年の大火で焼失した。
鳩峰車 延享4年(1747)建造の記録がある。現在は、金山町の下原八幡神社へ譲られ、現存する。からくり人形は、福禄寿の長い頭に梯子をかけて唐子が登り福禄寿の頭を剃る大津絵の「ケボウの梯子剃」。この人形は、古川祭・青龍台に譲られ現在の健在。
神馬台 からくり人形があったとする記録はない。
仙人台 享保3年(1718)に仙人のからくり人形を載せた。所作は、機関樋の先で洗濯(布晒し)をする美女の着物の裾から内股を見て雲から墜落する久米仙人であった。からくり人形は明治初年に廃止され、仙人のみが残り、屋台に飾る。
行人台 からくり人形があったとする記録はない。
豊明台 安永〜天明(1772〜1789)の建造とされ「芦刈台」と呼び能の芦刈のからくり人形があったとされているが天保年間(1830〜1844)に改修し豊明台と改名しからくり人形を廃止した。
浦島台(廃台) 文化5年(1808)建造といわれている。浦島太郎のからくり人形があり、機関樋の先の聯台の上の玉手箱に手を掛けると蓋が開き白い鳩が飛び立った。白い鳩は八幡神社の使いで白い煙の替わりに使われたと思われる。鳩が飛び出すと同時に白髪の老人に替わる。老人の面は浦島の胸に格納されており、胸を開き面を押し上げ顔に付けるこうになっていた。明治8年に大火で屋台とともに焼失し再建されていない。
古川祭
 からくり人形を上演する屋台は2台あり、高山祭と同じように屋台の2層目から差し出した機関樋で演技する。
 他に飛騨古川まつり会館に8代目玉屋庄兵衛が作ったからくり人形が2組あり、三番叟は自動運転されている。
福禄寿:古川祭 唐子:古川祭 三番叟:古川祭
からくり名 福禄寿 唐 子 三番叟
平成4年 8代目玉屋庄兵衛作
祭名:屋台名 青龍台 麒麟台 起し太鼓の里
備 考 大津絵・外方の梯子剃りを題材にした福禄寿の肩にかけた梯子を唐子が登り、亀が鶴に変わる人形が謡曲・鶴亀に合わせ演技をする。
高山祭・秋の八幡祭の鳩峰車から譲り受けたとされる。
唐子が運ぶ花籠から花が咲くと、獅子頭を被った人形に変身し乱舞する。 大火で廃台になり焼け残った明治37年作のからくり人形をモデルに8代目玉屋庄兵衛が作り、飛騨古川まつり会館でコンピュータで実演している。
牛若丸:古川祭
からくり名 参考 牛若丸と弁慶
(白虎台で上演される
子供歌舞伎の人形)
祭名:屋台名 飛騨古川まつり会館
備 考 平成5年8代目玉屋庄兵衛作
犬山祭
 13台の車山すべてにからくり人形が載る。内3台の中山には麾振り人形が載る。
 人形は、名古屋系統の影響を受けている。宝暦11年(1761)に名古屋若宮八幡の曳山・福禄寿の人形を作った名古屋のからくり人形細工師蔦屋藤吉は、犬山上本町の車山の人形を安永3年(1774)に中本町の人形を安永年間(1772〜1780)に作っている。また、名古屋のからくり人形師の文吉雛三は、安永4年(1775)に下本町の人形を作り、名古屋の3代目玉屋庄兵衛は文政10年(1827)に外町の人形を作っている。
他にも寛保3年(1743)に名古屋矢場町・甚四郎が練屋町の文殊菩薩人形、天保12年(1841)に名古屋末広町の瀬川治助・重光親子が上山の鶴・中山の龍・下山の狛犬、文政7年(1824)に熊野町の大工吉右衛門・木挽三治らと名古屋の彫刻師公勝・漆屋和助・徳平衛とともに車山を再建している。玉屋庄兵衛は文政7年(1824)に上本町の人形を修理するなど名古屋の人形師や職人たちに支えられている。これは、名古屋付近の山車が名古屋東照宮祭の山車に始まり、それを作り維持するために職人が育ち、近隣の山車にも手を掛けたたされている。
(出典:「犬山祭、犬山市史通史編」)

犬山には、犬山市文化資料館別館として「からくり展示館」があり、からくり人形の展示や玉屋庄兵衛の工房とからくり細工の実演もある。内容は下表のとおり。
項 目 犬山市文化資料館別館  概 要
展示内容 ● 城下町の歴史と文化遺産に関する資料を展示。
● 犬山祭の車山・からくり・犬山市内に伝えられる美術工芸品の展示。
● 犬山市の市史編纂に関する史料等の保存・市史の頒布。
● からくり人形師・九代玉屋庄兵衛(本名・高科庄次)の工房とからくり細工の実演公開 (毎週金・土の10.00〜16.00)
利用時間 9.00〜17.00 (入館は16.30まで)
休館日 12月29〜31日
料 金 高校生以上:100円、中学生以下:無料、30人以上の団体:80円
場 所 愛知県犬山市大字犬山字北古券8
名鉄犬山線犬山駅 or 犬山遊園駅下車−徒歩約15分
問い合わせ先 本館:0568−62−4802、別館:0568ー61ー3932
オフィシャルサイト: http://www.inuyama.gr.jp/ssinfo/contents/bunkashiryoukan.html
菅原伝授手習鑑:犬山祭 浦島太郎:犬山祭 淡路島:犬山祭
からくり名 菅原伝授手習鑑
浦島太郎 淡路島
祭名:屋台名 峰 英 (名栗町) 浦 島 (新 町) 老 松 (寺内町)
作 者 初代は延宝2年(1674)「布袋和尚」、「時平公」になり、現在のものは、明治2年(1869)土井新三カ作。 昭和3年 6代目玉屋庄兵衛作
2001年 9代目玉屋庄兵衛が全面改修
天保4年(1833) 作
1983年 9代目玉屋庄兵衛 修復
備 考 時平人形が正面で頭と手を動かし正面の梅鉢の切り花を散らす。管相人形は軍配を投げ梅鉢の枝を折り取って差し上げると残った花が咲く。童子が喜んで梅鉢を持ち上げて舞う。 浦島が亀に乗って貝へ進むと貝が割れて姫人形が現れ玉手箱を浦島に渡す。
蓋を開けるとたちまち翁になってしまう。面被りの早業が見所。
鈴と扇を持った巫女が舞い、神人人形が後に立つ・巫女の舞いが終わると神人人形が2回転し社殿に、巫女が鳥居に早変わりする。そして、元に戻る。
二福神・犬山祭 麾振り人形:犬山祭 梅樟戯:犬山祭
からくり名 二福神 麾振り人形(中山) 梅樟戯
祭名:屋台名 宝 袋 (余坂) 宝 袋 (余坂) 梅樟戯 (外町)
作 者 初代は文化10年(1813)
現在のものは明治3年(1870)再建
文政10年(1827)3代目玉屋庄兵衛作、衣装は伊藤呉服店(現松坂屋)が調整。
1976年に7代目玉屋庄兵衛が修理
備 考 大黒の人形が宝袋を前に左右に動く。正面を向き早笛にのり槌を振り下ろすと二つに割れた宝袋から小舟に乗った恵比寿が舞い上がり扇をあおぐと大黒が喜ぶ。 囃子に合わせ中唐子と小唐子が正面へ一礼のあと、梅の木の周りで遊ぶ。小唐子は梅の木の中段の枝で逆立ちし、太鼓を叩く。
唐子遊び:犬山祭 應合子:犬山祭 遊漁神:犬山祭
からくり名 唐子遊び 應合子
麾振り人形 (中山人形)
祭名:屋台名 咸 英 (本 町) 應合子 (下本町) 遊漁神 (枝町)
作 者 18世紀後半竹田 藤吉 作 原作:安永4年(1775)
名古屋のからくり師文吉雛三作
文政10年(1827)3代目玉屋庄兵衛作、衣装は伊藤呉服店(現松坂屋)が調整。
1976年に7代目玉屋庄兵衛が修理
備 考 1体の唐子が蓮台の上で片手で逆立ちし、片手で小太鼓を打つ。1体は臼を廻しながら動作をする。他の1体は鉦を打ちながら動作する。
延享2年(1745)は「七福神」であった。
大人形が小人形を肩車して舞い、横棒に掴ませて下がる。小人形が2回転すると、大人形が近づき肩に乗せる。大人形と小人形の合体や離れ技が見所。 遊漁神のからくりがある。内容は、恵比寿人形が荒磯の岩上に腰を下ろし、鯛を釣っている唐子は魚群を追い寄せる。大鯛・小鯛が集まり釣り上げると唐子が鯛を抱えて喜ぶ。
乱杭渡り:犬山祭
絵のない人形
車山名 上山からくり人形/中山人形 (作者)
遊漁神 恵比寿鯛釣り (犬山城番 佐藤 金平 作)
西王母 慶安2年(1649)は「龍門の滝」であったが、その後、「西王母」になり、更に安永5年(1776)に竹田藤吉により「西王母唐子遊び綾渡り」となる。
住吉臺 慶安2年(1649)「大黒天」から延宝3年(1675)に「丞相」、安永8年(1779)に「是善郷、天より子を貰ひ給う所」、文政7年(1824)に「住吉」になった。
国香欄 寛保2年(1742)に矢場町甚四郎が「文殊菩薩」を作る。
その後、「石橋獅子」となり現在に至る。
寿老臺 石 橋
からくり名 日蓮上人星下りの図
唐子の乱杭渡り
麾振り人形
祭名:屋台名 真 先 (魚屋町)
作 者 1774年 竹田藤吉 作
備 考 日蓮人形が礼拝を終えて曲録に座して頭を垂れると天上の星が割れ天女が現れる。唐子の天女が浮島にある乱杭を渡り、梅の木に掛かるギリに飛び移る。
名古屋出来町・筒井町天王祭
名古屋の他のほとんどの山車が焼けてしまったなか出来町・筒井町の山車は焼け残った。例えば、筒井町湯取車は万治元年(1658)に桑名町が東照宮の祭車として作ったものを譲りうけたもの、また、新出来町の鹿子神車は延宝2年(1674)に若宮八幡社の祭車としてつくられたものを譲り受けたものである。これらに5台に載るからくり人形も基本は当時のものである。
からくり人形は唐破風屋台の下に載り、前棚には、筒井町・湯取車は2体の太鼓打ちと笛吹が載り、他の4台には麾振り人形が載る。
唐子:名古屋出来町・筒井町天王祭 湯取神事:名古屋出来町・筒井町天王祭 木偶の逆立ち:王羲之車
からくり名 大将と2唐子
麾振り人形
湯取神事
前棚には笛を吹く人形と鼓を叩く人形が載る
木偶の逆立ち
麾振り人形
祭名:屋台名 出来町・筒井町天王祭
新出来町:鹿子神車
出来町・筒井町天王祭
筒井町:湯取車
出来町・筒井町天王祭
王羲之車:古出来町
備 考 平成9〜15年 満屋 仁兵衛 文造作。
小唐子が蓮台の上で逆立ちして音松人形が持つ太鼓を打つ。その面白さにお梅さんの中唐子が団扇太鼓を打ちながら左右に走る。この出来事を見て大将が軍配を振る。
平成9〜15年 満屋 仁兵衛 文造作。
安倍晴明の大将人形の前で、巫女が湯取神事を行う。巫女の持つ笹で釜の中をかき回すと「湯の花」と呼ばれる紙吹雪が吹き上げる。
唐冠を被った王羲之の大将と獅子頭をつけた子木偶が軍配を持った親木偶の肩に手を掛け逆立ちして獅子舞を踊る。
石橋:名古屋出来町・筒井町天王祭 神功皇后:神皇車
からくり名 石 橋
麾振り人形
神功皇后・武内宿禰
麾振り人形
祭名:屋台名 出来町・筒井町天王祭
中之町:河水車
出来町・筒井町天王祭
:筒井町神皇車
備 考 中之町に200年以上前から伝わる能楽の石橋に由来し、大将と2体の唐子で、天下太平のおめでたと瑞兆を現す勇壮壮麗な獅子舞を演じる。獅子頭をつけた唐子が首を上下に振りながら踊り、中唐子が左右に走って木に吊った太鼓を打つ。 神功皇后の三韓の戦いの折りに海上に龍神が現れ金玉を投げると浪波が静まったという故事を演じる。面かぶり巫女が舞い、鬼面をかぶり、錦の衣装に早変わりして龍神に変身する。
はんだ山車まつり
半田市内には31台の山車があり、その内20台の前棚や上山に30体のからくり人形が載り祭りなどで人形技が奉納されている。
布ざらし:はんだ山車まつり 巫女の舞:はんだ山車まつり 浦島太郎:はんだ山車まつり
からくり名 布ざらし (前棚人形) 巫女の舞 (前棚人形) 浦島の面被り
猩々の面被り (前棚人形、裏絵)
祭名:屋台名 亀崎:石橋組:青龍車 亀崎:田中組:神楽車 亀崎:中切組:力神車
作 者 竹田 源吉 作 浦島:6代目玉屋庄兵衛 作
猩々:5代目玉屋庄兵衛 作
備 考
桜花唐子遊び(綾渡り):はんだ山車まつり 唐子遊び・乱杭渡り変身:名古屋出来町・筒井町天王祭 役小角大峯桜:はんだ山車まつり
からくり名 桜花唐子遊び (綾渡り)
神官 (前棚人形、裏絵)
唐子遊び (乱杭渡り変身)
三番叟 (前棚人形)
役小角大峯桜
祭名:屋台名 亀崎:西組:花王車 乙川:浅井山:宮本車 乙川:南山:八幡車
作 者 神官:安政年間
5代目玉屋庄兵衛 作(裏絵)
山田 利圀 作 平成19年 9代目玉屋庄兵衛 復元
備 考
羅陵王:はんだ山車まつり 太平楽:はんだ山車まつり 麾振り人形:はんだ山車まつり
からくり名 羅陵王 太平楽 (前棚人形) 麾振り人形 (前棚人形)
祭名:屋台名 下判田:中組:祝鳩車 下判田:中組:祝鳩車 下半田:東組:山王車
作 者  7代目玉屋庄兵衛 作 6代目玉屋庄兵衛 作 7代目玉屋庄兵衛 作
備 考
巫女の舞:はんだ山車まつり 肩車離れからくり:はんだ山車まつり 三番叟:はんだ山車まつり
からくり名 巫女の舞 (前棚人形) 肩車離れからくり 三番叟 (前棚人形)
祭名:屋台名 下半田:南組:護王組 下半田:北組:唐子車 協和:砂子組:白山車
作 者 6代目玉屋庄兵衛 作 隅田仁兵衛真守 作 6代目玉屋庄兵衛 作
鵺(源 頼政 弓張月の対峙):名古屋出来町・筒井町天王祭
絵のない人形
山車名 上山からくり人形/前棚人形 (作者)
亀崎:宮本車 湯取り神事 (荒川宗太郎)
現在の人形は6代目玉屋庄兵衛作(?)
/三番叟 (日下浄雲)
亀崎:青龍車 唐子遊び (逆立ち、鬼頭二三)/上記
亀崎:神楽車 傀儡師 (船弁慶)/巫女の舞
岩滑:八幡車 −/三番叟
岩滑新田:神明車 −/三番叟 (6代目玉屋庄兵衛)
岩滑新田:旭車 −/三番叟
下半田:北組:唐子車 三番叟 (初代の人形は、天保14年(1843)
隅田仁兵衛真守 作
現在のものは、大正5年 6代目玉屋庄兵衛 作)
成岩:南組:南車 三番叟 (前棚人形)
西成岩:彦州組:日之出車 三番叟 (前棚人形)
西成岩:日之出車 三番叟 (前棚人形)
板山:本子車 三番叟 (前棚人形)
板山:神力車 三番叟 (前棚人形)
からくり名 鵺 (源 頼政 弓張月の対峙)
祭名:屋台名 西成岩:西組:敬神車
作 者 9代目玉屋庄兵衛 作
尾張西枇杷島まつり
5台の山車には、唐破風屋根の下の上山の奥に大将人形、その前にからくり人形、前棚に麾振り人形が載る。これらのうち杁西町:頼光車は、明治4年の作であるが、他の4台はすべて江戸末期の作で人形も特徴のある貴重なものである。
関羽 雲長:尾張西枇杷島まつり 牛若丸:尾張西枇杷島まつり
からくり名 関羽 雲長
麾振り人形(前人形)
鞍馬の牛若丸
麾振り人形(前人形)
源 頼朝
麾振り人形
祭名:屋台名 西六軒町:紅塵車 東六軒町:泰亨車 問屋町:頼朝車
作 者 関羽 雲長・鳥舞人形・太鼓撃ち唐子は文政10年(1827)、麾振り人形は文化9年(1812)のどれも3代目玉屋庄兵衛作。 前人形の他は、天保〜嘉永年間(1830〜1853)の凄雲斉信也作。
麾振り人形は、弘化4年(1847)の凌雲斉信也作。
上山のからくり人形は、弘化4年(1847)隅田仁兵衛真守作。
麾振り人形は、弘化4年(1847)の隅田仁兵衛真守作。
備 考 からくりは、関羽 雲長が戦いで毒矢を受けたときに、医者・華陀が治療した。そのとき、鳥が飛んできて舞い、痛みを和らげたという故事に因む演目。
鳥舞唐子が頭に冠を被り、羽根をひろげて孔雀になる変身からくり。
前人形は、文楽人形のように目の瞼(目玉)にからくりがあり、山車の巡行中は目を開けているが、山車が停まり囃子がやむと瞼を閉じる。小さな人形では珍しい高度な技術である。
からくりは、鞍馬の僧正ヶ谷で牛若丸が鞍馬天狗を相手に武芸の練習をする場面で烏天狗を打ち負かす。
以前の人形は、享保18年(1733)に作られた名古屋東照宮祭の伝馬町・林和靖車の麾振り人形を文化8年(1811)に譲り受けた愛知県で最も古い貴重なものとされ、名古屋市博物館で保管されている。
上山のからくり人形は、源頼朝(源二位)・静御前(白拍子)・臣下(畠山重忠)が載り、鶴岡八幡宮で源頼朝の前で静御前(白拍子)が義経を偲んで舞う場面。途中で扇が開く。
王義之:尾張西枇杷島まつり
からくり名 源 頼光
麾振り人形
王義之
麾振り人形
祭名:屋台名 杁西町:頼光車 橋詰町:王羲之車
作 者 すべて明治4年
浅野新介作
大唐子は、団扇太鼓を叩く。文政8年(1825)の脇田七右衛門作。
大将は、王義之で文化9年(1812)の永尾順延作。
麾振り人形は、文政10年(1827)の脇田七右衛門作。
備 考 からくり人形は、大将の源頼光、坂田金時と渡辺綱。からくりは、足柄山の熊退治の場面で、坂田金時が岩を持ち上げ熊に投げつけると、熊が飛び出し暴れ回る。岩を山車の外に投げる趣向のからくりは少なく、愛知万博のPRビデオにも入った。
からくりは、戦時中から中断していたが、昭和50年に復活。向かって右側の子唐子が左の大唐子の肩に手を載せ逆立ちする西枇杷島まつりでは唯一の離れからくり。
尾張津島秋まつり
からくり人形は、文字書き・綾渡り・倒立などさまざまな動きのあるもので、また、尾張地方には珍しい高山祭のからくり人形に見られる機関樋で演じるものが3台ある。
大将人形は載らず、からくり人形と湯立神事のからくりを除くすべてに麾振り人形が前棚に載る。
からくり名 蛭子と大黒の舞
麾振り人形
湯立神事 唐子遊び
(倒立唐子1体、蓮台廻し唐子2体)
麾振り人形
祭名:屋台名 七切・布屋町車 七切・麩屋町車 七切・池町車
作 者 寛政6年(1794)名古屋前津藤吉作
備 考 蛭子が鯛を釣ると、大黒が槌を振り宝袋が割れて宝船が現れる。 機関樋の先端に釜が置かれ、巫女が笹を釜に浸し振ると湯に見立てた紙吹雪が舞う湯取神事のからくり。
上山では扇子を持った巫女が舞い、2体の囃子方が笛と小鼓を演じる。
蓮台で唐子が逆立ちして鉦を叩く唐子遊び。
唐子遊び:尾張津島秋まつり
からくり名 唐子遊び
麾振り人形
高砂と神官
(神官1体、高砂2体)
麾振り人形
唐子遊び
(唐子1体、唐子1体、太鼓打ち唐子1体)
麾振り人形
祭名・屋台名 七切・北町車 七切・米之座車 七切・高屋敷車
作 者 明治31年
6代目玉屋庄兵衛作
神官は明治32年6代目玉屋庄兵衛作。
前棚の麾振り人形は、明治20年5代目玉屋庄兵衛作。
備 考 3体の唐子が太鼓を叩いたり、チャッパを打つなどの唐子遊び。 熊手を持つ尉と箒を持つ姥の高砂とその前に神官が立ち、神官が宝船に変身する。 3体の唐子の1体が戯けた面を被り、他の1体が鉦を1体が太鼓を叩く。
湯立神事:尾張津島秋まつり
からくり名 住吉神社への変身
麾振り人形
湯立神事
(湯取り神子2体、鼓打ち1体、笛吹1体)
大黒の小槌
麾振り人形
祭名:屋台名 今市場・小中切車 今市場・朝日町 向島・馬場町車
作 者 麾振り人形は、安政4年(1857)5代目玉屋庄兵衛作。 平成12年 山田利圀 修復
備 考 住吉明神が社殿に変身する。 大黒の打出の小槌から唐子が出てチャッパを打つ。
絵のない人形
山車名 からくり人形/前棚人形
(作者)
小之座車 獅子舞と唐冠の太閤
(獅子舞唐子2体、唐子1体、太閤)/−
大中切車 翁と唐子遊
/麾振り人形
上町車 関羽と唐子遊び
/麾振り人形
中町車 林和靖と唐子遊
(弘化4年真守)
/麾振り人形
南町車 寿老人と唐子遊
/麾振り人形
からくり名 唐子遊び
(唐子1体、
滑車廻し唐子2体)
麾振り人形
唐子遊び
(文字書き唐子1体、蓮台廻し唐子2体)
麾振り人形
祭名:屋台名 向島・上之町車 向島・中之町車
作 者 麾振り人形:明治39年加藤彦助作
備 考 2体の唐子が蓮台を滑車で回すと蓮台が上下し、他の唐子がアヤといわれるブランコに飛びつく。 2体の唐子が蓮台を回すと他の唐子が文字を書く。
其の一 其の二
   
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