江戸時代の神田松田町(現在の鍛冶町二丁目)の山車には源 頼義の山車人形が載り、山王祭とともに徳川幕府の権力の象徴として金銭的援助と統制のもとに行われた天下祭と呼ばれた神田祭の祭行列のしんがりの三十六番で引かれていた。
 近年、この人形が大正中頃に房州鴨川の諏訪講に譲り渡されたことがわかった。
 鴨川諏訪講は、明治43年に神田鍋町から譲り受けた神功皇后の人形が載る山車に頼義の人形を祭りの初日に載せ、2日目に神功皇后を載せて鴨川合同祭で引いている。
 頼義の人形が作られたのは江戸時代と推定され、衣装などの痛みがひどくなったため、この度修復され、鴨川合同祭で引かれる前に、2007年の神田祭大祭で、ふるさとの旧神田松田町へ里帰りし、2ヵ所(下記)で展示された。

 修復は、衣装・甲冑のみで顔や胴体に手は入っていないとのことで昔の作風がよくわかる。眉毛・髭に獣毛を使うなど力強さを表している。
 祭りでは高い山車の上に載る人形しか見られないが、このような展示では、手に取るように細部までよく見ることができた。
展示概要
 神田徳丸ビル会場
 2007年5月7〜10日
 秋山ビル「神酒所」会場
 2007年5月11〜13日
衣装・甲冑を更新する前の頼朝の山車人形 衣装・甲冑を更新した後の頼朝の山車人形
左は2006年の鴨川合同祭時の修復前の人形。右は2007年の神田祭の際に鍛冶町二丁目の神酒所(秋山ビル)に展示された修復後の人形。
撮った角度は、左は山車に載った状態で、水平に対し20〜30°見上げたもの。右はほぼ正面から撮ったもの。角度により印象が違って見えるのがわかる。
更新する前の人形の顔 更新した後の角度を変えて見た人形の顔
左は上の絵と同じ角度から撮った修復前の顔のアップ。右は同じく上の絵と同じ神酒所で撮った修復後のもので、表絵はほぼ正面、裏絵は足元から50cmほどから見上げたもの。
左絵と右絵の顔に違いがあるように見えるが、顔には修復で手が入っておらず(鴨川市大石様に確認)、左絵の頭の部分を右絵の兜のように紙などで隠すと全く同じ顔立ちであることがわかる。見る角度や身につけるものにより印象がかわる。
人形は、騎射の達人で、敦明親王に侯し射芸の巧妙さを称えられたなど若い頃から武勇の誉れ高かった若い頼義を描いている。
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