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祝 ・ 賜 天 覧 ! !
天皇・皇后両陛下、スウェーデン国王・王妃が、
2007年3月28日に川越まつりの仲 秀英の人形が載る
幸町(翁)・仲町(羅陵王)・元町二丁目(山王)の山車をご視察。 |
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2007年3月28日(水)、天皇・皇后両陛下とスウェーデンのカール・16世・グスタフ国王とシルヴィア王妃が、西武新宿駅からの特別列車で川越市を訪問された。
両陛下らは、小江戸の蔵造りの町並みを散策され、川越のシンボルの「時の鐘」では、幼稚園児がスウェーデン国旗をイメージしたブーケを皇后と王妃に贈った。その後、3台の山車による「ひっかわせ」が披露され、熱心に御覧されたという。この間、30分の予定であったが、予定外の陶器店に立ち寄るなどもあり、20分以上も予定がずれ込んだという。
弁当の昼食(町の噂)後14.30頃、徳川家ゆかりの寺院「喜多院」を訪問され、江戸城から移築された「家光誕生の間」の廊下から、満開のしだれ桜を鑑賞され、郷土芸能の神楽や、桐タンス作りなど地域の工芸も見学されたという。
このような行事を見に行くのは初めてで、時間ぎりぎりに行ったため、両陛下らと山車との出会いの場や喜多院などへは入場制限があり、近くへは入れず、移動中の両陛下らを遠くから“ちらっと”お目にかかった程度であった。
今回天覧に浴した3台の山車は、元町二丁目の「山王の山車」、幸町の「翁の山車」、仲町の「羅陵王の山車」で、いずれも、江戸・明治時代の名人形師・仲
秀英が作った山車人形が載る。
祭りの山車が天覧に浴したのは史上初であり、非常に名誉なことである。これを契機に、各地のいろいろ楽しい祭りや屋台をご観覧頂ければと願う。 |
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私の稚拙な行動計画のため、両陛下らを間近に見ることはできなかった。これらの絵は、若い頃訪問されたことがあるという、「喜多院」を訪問されたときのもので、ここも境内へは入場制限があり、喜多院への入り口へ100m程の沿道で撮ったものである。
右絵は、白バイに先導された両陛下らの車列。どんな人たちが乗っているのか不明であるが数台のマイクロバスなどを含め30台ほどが続いた。
下左絵は、天皇陛下とスエーデン国王(後部座席手前)が乗車された車、下右絵は皇后陛下と王妃(手前)が乗車された車である。
安全のためであろうが、30〜40km/hの速度で、あっという間もなく通り過ぎた。外国の皇室に比べて、日本では見物者が多いためだろうか、身近に感じる場面はなかった。 |
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天覧が終わると3台の山車は、まつり会館での展示に向かったり即分解された。
町内によっては「行幸記念」の幕を用意し、記念写真を撮っていた。ここに両陛下が立たれれば・・・・なんてことは、「夢・夢・夢」。
時の鐘の町も通常の賑わいに戻った。 |
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注1)蔵造り:川越の蔵造り商家は、明治26年の大火で多くの町並みを焼失したため、商人たちは防火対策に力を注いだ。川越商人は、江戸時代以来、新河岸川の舟運などによる江戸との商いによる蓄積した財力で防火建築にし、最盛期には100軒もの蔵造りの商家があったという。
2)喜多院:星野山無量寿寺喜多院は、平安時代の創建とされる。慶長4年(1599)に27世を継いだ天海が家康の厚い信頼を得て大いに栄え、寛永15年(1638)の火災による再建にあったては、家光が江戸城内の家光誕生の間や春日局化粧の間を喜多院の書院・客殿として移築した。その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などを数年の間に相次いで再建し、現在、文化財になっている。東照宮・日枝神社は、神仏分離令で別管理となっている。
また、境内には、天明2年(1782)から約50年かけて作られたとされる538体の五百羅漢があり、正月3日にはダルマ市(初大師)が開かれることから川越大師喜多院とも呼ばれる。
3)時の鐘:江戸幕府が江戸市中に鐘を鳴らして時を告げていたことにならい、寛永年間(1624〜1644)に川越藩主酒井忠勝が城下の多賀町(今の幸町)に立てたとされる。
現在の鐘楼は、明治26年(1893)の川越大火の翌年に再建されたもので、3層構造、高さ約16m。現在、6.00、12.00、15.00、18.00の4回鐘を打っている。
平成8年の環境庁「残したい日本の音風景百選」に選ばれた。町の人は、鐘撞堂と呼び、櫓の下には目の病に効くという薬師堂がある。 |
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