千住四丁目氷川神社山車
山車解体見学会
 足立区立郷土博物館に昭和61年から22年間常設展示されていた千住四丁目氷川神社の江戸型山車が、展示場の改修工事を機会に、解体・調査されることになり2008年7月20日に解体見学会が催された。

 千住には昭和初期まで複数台の山車があったが、戦災による焼失などで、現在、残るのはこの1台のみとなっている。
 この山車の建造は、明治5年(1872)で、当初は2輪車で、明治22年(1889)の大日本帝国憲法発布の祝賀行事では牛に引かせて巡行したという。その後は、大正2年の大祭、昭和39年、昭和60年に組み立て・展示が行われたが、巡行した記録はない。

 昭和61年に博物館の開館の主要展示物として、所有する千住四丁目町会から提供を受け、2輪車を4輪車に改造して展示された。古くは、祭禮のたびに組立・分解が行われ、不具合があれば修復されてきたが、展示されてからの22年間は、手つかずであったため、今回、解体・組立を通してその技術を伝承・記録保存し、また、部材の劣化状態の調査と補修を行うとしている。
 今後は、数年間隔で組立・解体を行い、その都度、短期間展示するという。数年に一度、短期間しか見られないのは寂しいが、技術の伝承のためには喜ぶべきであろう!! わがままな希望としては、博物館前庭ででも組立て(もっと動かすことができる場所であれば最高であるが)、昼間は時々前後ゝににでも動かし、夜は前庭に仮設した葦簀張りの仮小屋へ入れるなどしたら、より当時の祭りを偲ぶことができるのだが。

 山車の構造は、3層(3段の高欄)の人形が載る人形山車で、人形と上枠(鉾)が上下する江戸型である。人形は人力で台輪から立てた伸縮する一本柱で上下し、枠は紐で上下するようになっており、これらを下幕で覆われた枠の中で操作する。おだまきなどはない。囃子座には大唐破風屋根(前〜後まである唐破風屋根)が載る。

 
解体した人形などは、2008年7月23日〜8月24日まで展示される。
   休館日など詳細は、オフィシャルサイト:https://www.city.adachi.tokyo.jp/031/d10100001.html 参照。
 
その後、2008年8月25日〜2009年3月14日休館。
 
足立区立郷土博物館へのアクセスは、JR亀有北口−東武バス−八潮駅北口行き(有64)−足立区立郷土博物館前下車すぐ。または、六木都住行き(有28)−東渕江庭園下車−徒歩約2分。
(足立区指定有形民俗文化財。参考資料:足立区教育委員会「足立史談」、足立区立郷土博物館「山車からくり解体見学会」パンフレットなど)
右絵:解体が行われる博物館展示場。手前が出入り口、正面に囃子の仮舞台が設けられている。
下絵:解体に協力した、棟梁、鳶、四丁目の方々の紹介。
解体が行われる博物館展示場。手前が出入り口、正面に囃子の仮舞台が設けられている
解体に協力した、棟梁、鳶、四丁目の方々の紹介
解体は、四方に足場を組んで行われた。まず、四方幕・下幕・水引幕・波幕などを外し、静御前の人形を下ろす。次に上高欄・三味線胴、中高欄・三味線胴を下ろす。続いて、屋根・人形を支える一本柱・可動枠・囃子座・固定枠などを外す。固定枠を外すときに、昭和61年に2輪車から4輪車に改造したときに追加した車軸を支える台輪が固定枠を強く締め付けていたため時間がかかるなどがあったが無事外すことができた。
車輪から台輪を外し、朝11.00頃から始まった解体は、15.30頃無事完了した。 長袴を履いた静御前は、22年間立ちっぱなしであったが、下ろされてやれやれと一息ついていた。袴の中の足(袴の途中の盛り上がった所)は素足(木製)であった。
下幕は、厚さが1cmもあるかと思える羅紗製、四方幕には静御前に関係する松が刺繍されている(上絵の赤地に緑の模様)。
神田囃子千四会のみなさんによるお囃子が、解体作業の前と昼前に演奏された 秋本治原作の漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の登場人物の両津勘吉の銅像が、JR亀有駅前に立つ
神田囃子千四会のみなさんによるお囃子が、解体作業の前と昼前に演奏された。 秋本治原作の漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の登場人物の両津勘吉の銅像が、博物館の玄関口であるJR亀有駅前に立つ。
両津勘吉は「両さん」の愛称の亀有公園前派出所勤務する葛飾署巡査長。浅草で3月3日に生また。強い生命力、儲け話には目がない、みんなに迷惑をかける。
     
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