山車人形の吊り目
 神功皇后、武内宿禰の山車人形は多い。その中の下の2枚の絵は、神功皇后と応神天皇を抱いた武内宿禰の人形で、製作年には12年の差があるがどちらも原舟月の作品である。それぞれの顔立ち・装束・衣装など共通点が多いが神功皇后と武内宿禰の配置が左右異なり、それにともない武内宿禰が抱く応神天皇の位置も2人の間か外かの違いがある。
 左右の位置については、天皇と皇后、新郎新婦、内裏雛などでも時に話題になるが、天皇と皇后の写真撮りや新郎新婦の席次は向かって左が男が一般的である。内裏雛は江戸では同じく左に男雛を飾り、古来の風習を守る京都では向かって右に男雛を飾るという。
 神功皇后と武内宿禰を左右どちらに配するかは、両者は主従の関係でもありこれらとは同一に考えらない。それよりも、抱かれる応神天皇と神功皇后の配置はどちらがリーズナブルなのだろうか。
 因みに、下段絵の安政6年(1859)に一猛斎芳虎が著した慶応頃錦絵帖では、両者は別枠ではあるが、左絵と同じように右に神功皇后を、左に応神天皇を抱いた武内宿禰を配している。しかし、応神天皇は左絵と違い、外側の手で抱かれ神功皇后へ向けられている。

 左絵の武内宿禰が内側の手で応神天皇を抱く抱き方では、応神天皇に神功皇后の顔を見せるためにはかなり上向きに抱かねばならず、また、神功皇后もかなり下を向かなければならないがそうはなっていない。右絵のように外側の手で抱けば、絵では応神天皇を外向きに抱いているが、神功皇后と応神天皇との距離ができ、お互いに自然にそれぞれを見ることができる角度になる。

 両人形は、製作年からどちらも3代目原舟月作と考えられるが、なぜ、このように違った配置で作ったのか疑問が残る。武内宿禰の左足が高欄にかかっているなど、飾り付けの間違いではないようであるが、右絵のように応神天皇を外側に抱く方が理に適っていると思われる。
青梅大祭・本町の神功皇后と武内宿禰 菊水祭・本郷町の神功皇后と武内宿禰
明治2年頃の3代目原舟月作の青梅大祭:本町所有の人形。
(青梅大祭時に会所に飾られる)
明治14年の3代目原舟月作の宇都宮市二荒山神社例祭:本郷町の人形。
(絵は、「江戸の人形文化と名工 原 舟月」展で飾られた人形。菊水祭の山車に飾られる)
神功皇后と応神天皇、武内宿禰 安政6年(1859)に一猛斎芳虎が編纂した錦絵帖。
右に神功皇后を、左に応神天皇を抱いた武内宿禰を配し、応神天皇は外側の手で抱かれ神功皇后へ向けられている。
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