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成田山新勝寺は、平安時代、寛朝大僧正によって開山された。
天慶2年(939)に平将門が東国の地で乱をおこしたとき、時の朱雀天皇が平和祈願の密勅を、寛朝大僧正に命じた。大僧正は、京都高雄山より、弘法大師による不動明王の像と「天国の宝剣」を持って幾多の難を越えて上総の国尾垂ヶ浜に上陸し、戦乱の地にほど近い下総の国公津ヶ原で平和祈願の不動護摩法を行った。祈願の満願の日にあたる天慶3年2月14日(940)に、不動明王の威力によりさしもの乱も平定されたという。
大任を果した大僧正は、不動明王像を持って京に帰ろうとしたが、不動明王像が磐石のごとく動かず、奇異に感じた大僧正が、合掌し祈ったところ、「我が願いは、尽きることなし。長くこの地に留まりて、無辺の衆生を利益せん」という声を聞いた。
このことを朱雀天皇に奏上したところ、天皇は深く感動し、堂の建立を国司に命じ、「新たに勝った」因縁にちなんで「新勝寺」の寺号を授けた。ここに成田山が東国鎮護の霊場として開山された。
江戸時代に入ると、佐倉藩の外護を受け発展し、中興の祖として仰がれる照範上人は、元禄14年(1701)に本堂を再建するなど伽藍の整備に力をそそいだ。また、上人が行った江戸深川の出開帳により成田山の名は広く世に知れた。
その頃、成田山不動明王に信仰の篤い初代市川團十郎が「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王を主題とする歌舞伎を上演し、成田不動と團十郎の仏縁が評判となった。以来、成田山は江戸庶民に深く信仰され、成田詣は飛躍的に発展した。(出典:成田山オフィシャルサイト)
これから1070年にあたり記念大開帳が行われ、その一環として初日にあたる2008年4月28日に市民による提灯行列と成田祗園祭に出る山車の巡行が行われ、参詣に行った。 |
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| 提灯行列は、18.00からJR成田駅前と黒田駐車場から出発し、無料で配られた提灯を掲げて多くの市民などが参加した。成田空港の開港30周年でもあり、その関係者が赤い半纏で参加し盛り上がった。 |
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| 多くの山車も参加し、5台が提灯行列と一緒に巡行、セレモニーが行われた20時前には、大本堂前の広場に2台、1070年に合わせて完成した大門の前に4台、各町内に4〜5台が展示された。7月の暑い最中に行われる成田祗園祭と違い、薄手の長袖シャツだけでは肌寒い気候であったが、祭囃子を響かせて1070年祭を祝った。 |
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開基1070年に合わせて三重塔を始め多くの境内の伽藍が修復修理などが行われ、2007年の成田祗園祭では、建物は作業用の囲いで覆われていた(右裏絵)が、すっかり完成した。極彩色の三重塔などけばけばしさを押さえた落ち着いた色合いに仕上がっていた。(右表絵)
下絵は、修復なった元禄14年(1701)建立の旧本堂の光明堂(重要文化財)。真言密教の教主である本尊の大日如来が奉安されている。 |
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