吉村昭の作品が好きで、図書館で「羆嵐」を借りて読んだ。
概要は、大正時代に実際にあった話にもとづくもので、「北海道天塩山麓の雪深い山間部の痩せた土地で悪戦苦闘している入植間もない15戸の開拓村を一頭の羆が襲い、わずか2日間で6人を喰った。開拓村には、鉄砲もなく、近隣の村から村田銃を持った人などの応援を受けるも、銃が不発だったりして、人々は追いつめられ海岸部へ逃げるしか方法がなかった。ようやく、酒乱の嫌われ者の老狩人に頼み駆除することができた。」というドキュメンタリー。
吉村昭独特の緻密な調査にもとずいた寒さ・貧困・家族・為す術もない現実などから人々が追い込まれていく情景がよく描かれている。
話は変わるが、冬場には屋台祭はほとんどないが、新年ということでおびしゃや獅子舞、道祖神祭などの伝統行事が多く行われる。おびしゃは、弓矢で鬼を描いた的を射るなどの行事で、いつも、これらを見ると、なんとなくわかっているようでも「なぜ、このような行事が?」と思ってしまう。
藁草履を履き、コッペパンと脱脂粉乳の給食で育った者でもこうだから(自分だからそうなのかもわからないが)、若い人にとっては、このような行事は不思議に写るだろう。
「羆嵐」では酒乱の嫌われ者ではあるが人間の力でなんとか解決できた。しかし、その裏には、彼がいなかったら、もっと悲惨な状況に陥ったと思わせている。(もっとも、軍隊は動き始めていたとしているが)
近い過去の大正時代(1912〜1926)でも地方はこんな状況であり、もっと昔の弥生(〜300)〜平安(〜1159)〜鎌倉時代(〜1331)などでは、地方・都市を問わず自然や動物・病気に対する脅威は大きかったはずである。
今でも追いつめられると、宗教に頼ったり自殺する人が多いが、人間の力で避けがたいことが質・量ともに比べられないほど多かった昔は、救いを求め、災いを逃れることを、神に祈り、おびしゃなどの行事に込めたのであろう。
「羆嵐」の中の開拓民に自分を置いてみて、おびしゃや獅子舞などをあらためて理解し再認識した。
もっとも、吉村昭は死ねばすべては「無」であるとし、神・仏・宗教などは信じない人であったらしいが。 |
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法王山臨済宗大徳寺派・萬満寺の唐椀供養で行われる仁王の股くぐり。
病魔災難除け、とくに小児の難病剱難にご利益があるとされ、江戸時代には、疱瘡除けの仁王として近隣近郷の評判で、江戸詰めの大名、旗本の代参なども盛んであったという。
〔 伝統行事・民俗芸能→萬満寺の仁王の股くぐり〕 |
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