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このページは、千葉県我孫子市の寺院についてのもので、非常にローカルなページである。
我孫子の寺院は、我孫子市発行「我孫子市史:民族・文化」によると32寺載っている。32寺以外にも地蔵さまなどの祠はあるが、このHPでは32寺のみを採りあげた。
32寺の宗派は、下表1のとおり真言宗が16寺50%と最も多く、しかも豊山派が13寺40.6%を占めている。宗派の表示のない6寺を除くと61.5%、50%にもなり、ついで曹洞宗:8寺25.0%と続く。観音堂などの宗派の表示ない寺は6寺ある。
この割合を全国平均と比べると曹洞宗は全国平均なみといえるが、真言宗は全国平均の倍以上を占めている。この真言宗・豊山派の13寺の内の12寺は、昔は龍泉寺の末寺であり、当時龍泉寺がこの地域で力を持っており、真言宗の寺が多くなっているものと思われる。しかし、龍泉寺も常州筑波郡信太庄大岩田法泉寺の末寺であり、本山の直接の末寺はない。
檀家の仏事供養が行われる寺と院(注1)の違いは、京都の知恩院の正式名称が「華頂山知恩教院大谷寺」であるように寺を総号とし院を寺中の別舎とし、それらを総称して寺院というとある。また、堂庵は、有志信徒によって護持(守護)されたものとある。
一説に古代(注2)は、奈良・平安(〜1160)までを指し、仏教の伝来は538年(552年説もある)、百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したことが仏教伝来の始まりとあり、既に古代には仏教は入っていたとされている。 |
| 宗派別寺院割合(表1) |
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我孫子市の寺院の名称(表2) |
| 宗 派 |
全国平均 |
我孫子市 |
|
寺 |
43.8% |
| 律宗 |
0.2% |
− |
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院 |
34.4 |
| 華厳宗 |
0.1 |
− |
|
堂 |
21.8 |
| 法相宗 |
0.1 |
− |
|
計 |
100 |
| 天台宗 |
7.7 |
3.1 |
|
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真言宗
(豊山派) |
22.1 |
50.0
(40.6) |
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| 融通念仏宗 |
0.6 |
− |
|
|
|
| 浄土宗 |
14.4 |
− |
|
|
|
| 浄土真宗 |
4.8 |
− |
|
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| 時宗 |
0.7 |
− |
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末寺の状況(表3) |
| 臨済宗 |
10.2 |
− |
|
龍泉寺の末寺 |
12寺 |
| 曹洞宗 |
26.3 |
25.0 |
|
正泉寺の末寺 |
8 |
| 黄檗宗 |
0.8 |
− |
|
法岩寺の末寺 |
2 |
| 日蓮宗 |
12.3 |
3.1 |
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他の寺の末寺 |
15 |
| 宗派の表示なし |
− |
18.8 |
|
末寺でない寺 |
1 |
| 計 |
100 |
100 |
|
計 |
32 |
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奈良・平安時代、栄町の和銅2年(709)の創建の龍角寺に白鳳期の仏像があり、また市内で蓮花文の古瓦の類が採取されたり、その他の伝承もあるが、この時代に仏教が広まり寺院があったとの確証はない。
中世では、北条時頼の娘法性尼が弘長3年(1263)に庵を建て、それが継承されている曹洞宗・正泉寺・都部が永正初年(1504〜)の草創といわれている。また、妙蓮寺・根戸は建武時代(1334〜1336)に創建され、「本土寺過去帳」に記されている延徳2年(1490)の大高寺がそれに該当するとされている。その他、東光寺・都部(廃寺)もその頃の創建と推定されている。
寺院と関係はないが、この時代のものとして、我孫子へ進出してきた領主やその武士団が供養に造立したとされる板碑(注3)の永仁6年(1298)銘のものが柴崎城址とされる柴崎神社などにある。
乱世の16世紀には武士団が抗争を繰り返していたが、仏教文化が隆盛し、東源寺・柴崎は天文9年(1540)に北条氏康の開基と寺伝にある。室町時代には、長福寺・新木、東陽寺・根戸、興陽寺・白山、勝蔵院・布佐、延命寺・布佐などが創建されている。
近世になると三代徳川光家による寺社奉行による寺請制度をしくなどもあり、仏教が盛んになり、仏堂の建築も盛んに行われた。中峠の法性院(法照院)、龍泉寺、正明院(照明院)、法岩院、長光院は元文5年(1740)頃には既にあり、寺屋敷も持っていたとされる。また、仏像も盛んに造立され、とくに観音寺・日秀の京都の名工仁阿弥道八作のやきものの仁王像は、陶芸工芸史上秀作といわれている。この頃は、神仏習合の信仰で、神仏を厳密に区別しないで信仰されていた。
また、江戸時代中頃には、四国八十八カ所移し(写し)により取手を含む相馬一帯に新四国相馬霊場八十八カ所が創設され、霊場巡拝が盛んに行われた。新相馬霊場については、赤松宗旦が安政5年(1858)に書いた「利根川図志」や吉原精一が大正4年(1915)に発行した「相馬霊場案内」などが詳しい。
霊場巡拝の大師道が農道や裏道に古い道標が今でも残っている。布佐は、取手市小文間の十六番札所観音堂から小貝川の渡船場にでて布佐に渡ってくる人で活気に満ち、宿屋も多く賑わったといわれている。その後の大正・昭和初期も巡拝は盛んに行われ、大師堂の修理・改築も続けて行われ、今でも参拝に訪れる人は多いといわれる。
明治維新後の神仏分離などの政策により、寺院にも多大の影響があった。寺院は、寺の別当を離れ、廃寺になった寺も数カ寺あるが、仏像や什器類は今でも残っているとされる。また、布佐・愛宕神社の別当の山伏修験の大乗寺が廃され、妙見社の妙見菩薩が仏教的色彩があるなどから、天御中主命にかわり、社号も改められた。明治13年には、根戸・妙見社、柴崎・妙見社は北星社、柴崎神社になった。
明治12年の「寺院明細帳」には、下表の19寺、真言宗10寺、曹洞宗7寺、日蓮宗1寺、天台宗1寺が載っている。 |
| 注1)番号の赤字は、新四国霊場八十八カ所札所。 |
| 明治13年頃の寺院明細帳に載る寺院 |
対応する現在の寺院 |
| 寺院名・所在地 |
宗派 |
檀徒数 |
寺院名・所在地 |
宗派 |
番号 |
| 東陽寺・根戸村 |
真言宗 |
672人 |
← |
← |
3 |
| 妙蓮寺・根戸村 |
日蓮宗 |
35 |
← |
← |
4 |
| 宝蔵寺・久寺家村 |
真言宗 |
372 |
← |
← |
5 |
| 興陽寺・我孫子宿 |
曹洞宗 |
60 |
← |
← |
6 |
| 大光寺・我孫子宿 |
真言宗 |
76 |
← |
← |
8 |
| 延寿院・我孫子宿 |
真言宗 |
− |
← |
← |
7 |
| 円福寺・柴崎村 |
真言宗 |
11 |
← |
← |
1 |
| 東源寺・柴崎村 |
曹洞宗 |
60 |
← |
← |
2 |
| 無量院・青山村 |
真言宗 |
48 |
← |
← |
9 |
| 最勝院・高野山村 |
真言宗 |
47 |
← |
← |
10 |
| 西音寺・下ケ戸村 |
真言宗 |
65 |
← |
← |
11 |
| 白泉寺・我孫子町 |
曹洞宗 |
62 |
← |
← |
12 |
| 正泉寺・都部 |
曹洞宗 |
340 |
← |
← |
14 |
| 法岩院・中峠 |
曹洞宗 |
1693 |
← |
← |
15 |
| 長光院・中峠 |
曹洞宗 |
7 |
← |
← |
16 |
| 龍泉寺・中峠 |
真言宗 |
102 |
← |
← |
20 |
| 観音寺・日秀 |
曹洞宗 |
106 |
← |
← |
25 |
| 勝蔵院・布佐 |
天台宗 |
1115 |
← |
← |
29 |
| 延命寺・布佐 |
真言宗 |
1089 |
← |
← |
30 |
| − |
− |
− |
滝不動・岡発戸 |
曹洞宗 |
13 |
| − |
− |
− |
法照院・中峠 |
真言宗 |
17 |
| − |
− |
− |
照明院・中峠 |
真言宗 |
18 |
| − |
− |
− |
不動尊・中峠 |
− |
19 |
| − |
− |
− |
宝蔵院・中里 |
真言宗 |
21 |
| − |
− |
− |
薬師堂・中里 |
− |
22 |
| − |
− |
− |
薬師堂・古戸 |
− |
23 |
| − |
− |
− |
観音院・古戸 |
真言宗 |
24 |
| − |
− |
− |
地蔵院・新木 |
真言宗 |
26 |
| − |
− |
− |
太子堂・新木 |
− |
31 |
| − |
− |
− |
長福寺・新木 |
真言宗 |
27 |
| − |
− |
− |
観音堂・布佐 |
− |
28 |
| − |
− |
− |
観音堂・都 |
− |
32 |
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「我孫子市史:民族・文化」には、「寺院明細帳」に載っていない5堂など13寺が加わっている。
これら32の寺院は、住職のいない空寺は少なく、仏教行事が行われている。
我孫子の寺院を足で歩き、今の姿をまとめた。
各寺院へは、左のIndexから入ってください。各寺院の番号をクリックすると所在地がわかる地図へジャンプします。
ご意見、間違いなどありましたら是非 E-Mail 頂ければ幸いです。 |
注1)寺・院・山:“寺”は、インドの古語のパーリ語の長老を表す“テーラ:thera”、または朝鮮語の礼拝所を表す“チョル:chyl”からきたとされている。中国では、漢時代に外国の使臣を泊める役所を表し、仏教僧がインドから来たときに鴻臚(こうろ)寺という役所に泊まったところから次第に僧侶の住居を寺というようになったとされ、後漢の明帝の時代に建てられた白馬寺が、最初の仏教寺院であるといわれている。
今の日本では、仏像を安置し、僧・尼が居住し、道を修し教法を説き、また儀式を行う建物をいう。初めての仏教寺院は、百済が献上した仏像を蘇我稲目が大和向原(むくはら)の家に祀って寺としたものが最初だといわれている。
“院”は、回廊とか垣根をめぐらした園を表し、唐時代に“観音院”などと寺名に用い、のちには寺を総号とし院を寺中の別舎とし、それらを総称して寺院と呼んだ。
“山”は、中国では寺院を山中に建てたことから、その所在地の山の名前をつけるようになり、日本では鎌倉時代以後、平地にたてられた寺院であっても“山”号をつけた。寺院の門を山門と呼ぶのはこのことによる。
知恩院の正式名称は 「華頂山知恩教院大谷寺」
2)日本の古代・中世・近世・近代
G原始:旧石器、縄文、弥生、古墳、飛鳥、白鳳文化から邪馬代国まど。
G古代:縄文時代以降の大和朝廷時代(原始古代)から奈良、平安時代まで。
G中世:平安末期、鎌倉、南北朝、室町、戦国時代まで。
G近世:安土・桃山から江戸時代まで。
G近代:明治維新から太平洋戦争の終結まで。
3)板碑(いたび):主に中世に作られた石造りの板状の供養塔卒塔婆(そとば)。多くは、武蔵型板碑といわれる秩父地方特産の緑泥片岩(りょくでいへんがん)で造られており、色が青いことから青色板碑という。頭部は山形に形作られ、上部に仏の種子や仏像、下部には偈(げ)・紀年・氏名などが刻まれている。そもそもは、鎌倉・室町時代に死者を追善し、生前の逆修供養のための卒塔婆として建立された武蔵野国に興った文化で特に関東に多い。埼玉県大里郡江南村須賀広に残る嘉禄3年(1227)の銘のあるものが日本最古のものとされている。
4)札所:霊場の巡拝者が祈願・姓名・出身地などを書いた木札を打ち付けたことから霊場の別名。 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
円福寺/羽黒山/真言宗豊山派 (もと龍泉寺末) (番号は地図へリンクしています) |
| 所在地 |
我孫子市柴崎172 |
| 本 尊 |
阿弥陀三尊
脇侍(注1):観音像、勢至像 |
由 緒
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江戸時代初期(1615〜)の草創とされる。柴崎神社に隣接した、柴崎村鎮守羽黒妙見社の別当寺(注2)であった。安永4年(1775)の相馬霊場創設で第五十五番予州光明寺移し、本尊阿弥陀如来となり、文化4年(1807)には大師堂も建立されたが、文化8年に本堂と庫裡が罹災し、13年に再建された。天保10年(1839)に新末新色衣が格上げされ、安政6年(1855)の堂宇(注3)を修築した。その後の罹災や暴風雨による倒壊などにより再建が繰り返されたが、現在の建物は昭和62年に新築されたもの。芝崎神社(柴崎村鎮守羽黒妙見社)の別当寺、旧芝崎村領主新見家の菩提寺で境内に墓石がある。新見家は、幕末まで芝崎村に320石余を知行していた。 |
| 新四国相馬霊場 |
五十五番札所。 |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
p阿弥陀三尊:享保5年(1720)に造立され、その後彩色補修や修理が行われた。 p大師堂:1863年に造られた切妻造、銅板葺、正面唐破風の向拝付、木造彩色大師像が納められている。
p鯖大師堂:厨子にに入った右手に鯖を持ち笠を付け、苞(つと)を背負い、草鞋履きで玉眼木造彩色の遊行姿の大師像がある。 |
| 注記 |
注1)脇侍・脇士・夾侍・挟侍(きょうじ、わきじ):本尊の仏像の両脇に安置されたり、または描かれている像で、阿弥陀如来には観音菩薩・勢至菩薩、釈迦如来には文殊菩薩・普賢菩薩、薬師如来に日光菩薩・月光菩薩などが立ち、本尊の衆生教化を助けるとされる。
2)別当寺:神仏習合・神仏混淆説にもとづいて神社に設けられた神宮寺の一つ。
3)堂宇(どうう):“宇”は軒の意味で、堂の軒、堂、殿堂をいう。
4)不動明王:(梵語 Acalan tha、動かざる尊者の意) 五大明王・八大明王のひとつ。仏典では最初、大日如来の使者として登場し、やがて大日如来が教化し難い衆生を救うために忿怒の姿を仮に現したものとする。普通、一面二臂で、右手に降魔の剣を持ち、左手に羂索を持つ。矜羯羅(こんがら)・制*迦(せいたいか)の2童子などを従える。〈真言の言葉:ノウマク サマンダ バザラダン カン〉
5)鯖大師:四国八十八カ所に多いが、宮城県から九州各県に大師堂がある。阿波名所図会によると、阿波国海部郡八坂ケ浜で、旅中に飢えた行基が鯖の荷を積んだ馬方に鯖一尾欲しいと頼んだところ、馬方は拒んだ。行基は「大坂や八坂坂中鯖一つ行基にくれで馬のはら病む」と歌を詠み、馬はたちまち腹病をおこした。鷲いた馬方が無礼をわび鯖を献じたところ行基は「くれで」を「くれて」「はら病む」を「はら止む」と書き換えたところ馬は平癒した。この僧を弘法大師と同一視する話も多い。 |
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| 本堂。昭和62年に新築された、宝形造、向拝付き、銅板葺き。内部の仏間の大壇は、四周側面に反花と受花の二重蓮弁形をめぐらした花形壇。 |
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手前から不動明王堂(注4)。鯖大師堂(注5)には厨子入りの木造彩色、玉眼の鯖大師が笠をかぶり、苞を背負い、草鞋を履いた遊行の姿。明治42年作。弘法大師堂には、木造彩色の大師像が祀られている。 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
東源寺/青竜医王院/曹洞宗 (もと法岩院末) |
| 所在地 |
我孫子市柴崎170 |
| 本 尊 |
薬師如来 (日光・月光・十二神将像、木造阿弥陀立像、木造地蔵菩薩像、木造達磨大師蔵、大権修理菩薩像) |
由 緒
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寺伝に、天文9年(1540)北条氏三代氏康の開基で、山号院号は氏康が決めたとある。開山は、法岩院五世梅室宗芳で、それ以来、当主を永平寺、あるいは、総持寺から迎えて、現住職は三十一世になる。 |
| 新四国相馬霊場 |
七十五番札所。 |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
G榧の木。
p志賀直哉の作品「十一月三日午後の事」に寺名と榧の木が登場。 |
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| 本 堂 |
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榧(かや)の木。一位科の常緑喬木で、葉は扁平線状、革質で厚く、先端は鋭い。雌雄異株。4月頃開花し、実は広楕円形で、核は食用・薬(駆虫薬)になり、また油を搾る。材質は固く、碁盤材などに使われる。昔は、丸木船、仏像などにも使われた。相馬八十八カ所を開基した光音禅師お手植えと伝えられ、千葉県北有数の巨木。
県指定天然記念樹。
根回り:6.3m
目通り:4.5m
樹高:24m
樹齢:約250年
(我孫子市教育委員会) |
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| 寺院名/山号/宗派 |
東陽寺/地蔵山/真言宗豊山派 (もと小金町大谷口大勝院末) |
| 所在地 |
我孫子市根戸351 |
| 本 尊 |
不動明王 |
由 緒
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草創は室町時代といわれるが、開山開基とも不詳。17世紀には、相応の寺院であったと思われるが、その後無住になって衰微したことがある。旧本堂は、文化年間の建立とされるが、現本堂は、昭和40年の修築による。妙見社(現北星神社)、牛頭天王(八坂社)、弁財天、香取大明神、天神宮、稲荷大明神、吾妻大明神、白山大権現の別当であった。 |
| 新四国相馬霊場 |
− |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
G広い境内には、3匹の梟などの石像が置かれている。 |
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| 本 堂 |
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境内の石像 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
妙蓮寺/頂経山/日蓮宗 (もと真間山弘法寺末) |
| 所在地 |
我孫子市根戸1778 |
| 本 尊 |
釈迦 |
由 緒
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南北朝期の建武年代に草創され、開祖は日念聖人。我孫子で唯一の文明17年(1485)銘題目の板碑が残されている。
山門は、江戸時代に建立された薬医門である。
本堂には、釈迦、多宝二仏、浄行・安立行二菩薩立像、毘沙門天立像、上行・無辺行二菩薩、持国天立像など17体の諸尊像や、三十番神像、陶製阿吽の二形の仁王像など多くの仏像が雛壇式の仏壇に安置されている。
和尚に諸仏像の拝観をお願いしたが、一般の人には見せないとのことであった。観光客の多い京都や奈良の寺院と違い、我孫子の片田舎で一般の人に見せないで誰に見せるのかわからないが、文化遺産として一般公開をお願いしたい。 |
| 新四国相馬霊場 |
− |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
− |
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| 本堂正面の仏壇 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
宝蔵寺/明王院/真言宗豊山派 (もと龍泉寺末) |
| 所在地 |
我孫子市久寺家401 |
| 本 尊 |
延命地蔵
左右に大日如来像、阿弥陀如来像 |
由 緒
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元和3年(1617)創建。寺地は、台地の突端にあり久寺家城二之丸郭址で、近くに土塁がある。この城は、小金大谷口城主の支配下で、宝蔵寺は、もと大谷口大勝院の末寺であった。
本堂は、大正8年に改築された瓦葺の入母屋造りで、妻が正面を向き、唐破風の向拝と懸魚、虹梁が印象的な配置になっている。
明治14年に住職窪現阿和尚が高野山・金剛峯寺にあった弘法大師像を求め、関東の六十二番厄除大師をして信仰を盛んにした。
梵鐘は、昭和49年に鋳造され、「幸運の鐘」を命名されている。籠堂は、昭和63年に改築された。 |
| 新四国相馬霊場 |
八十四番讃岐国屋島寺移し札所。地形が讃岐屋島に似ていることから屋島寺移しとなった。 |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
G六地蔵尊 |
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| 本 堂 |
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境内の祠に安置されている六地蔵尊。案内板には、「地蔵とは、台地が堅固不壊である様に、この佛の菩提心が堅固で一切衆生に代わって衆苦を受けても破傷されず、又地中に種子及び宝を蔵し、朽敗されず繁栄させるが如く衆生の善根を増長させるので名付けたものです。
もし、未来性の善男善女が、この尊の像を見、この経を聞き供養讃歎すれば二十八種の利益を得ることができます。六地蔵とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天にいる人をよく救ってくださるという能化の尊のことです」とある。 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
興陽寺/自性山/曹洞宗 (もと葛飾郡金杉村高徳寺末) |
| 所在地 |
我孫子市白山1−16 |
| 本 尊 |
釈迦如来 |
由 緒
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開山は、大涼玄樹大和尚、開基は山高八右衛門で、室町時代最末期の草創とされる。
医薬門は、平瓦と丸瓦を交互に敷き並べた本瓦葺。本堂は、昭和10年に再建された。 |
| 新四国相馬霊場 |
五十九番伊予国分寺移し。 |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
G金色の宝珠が載る薬師堂、大師堂、天神社祠など。 |
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| 本 堂 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
子之神延寿院/白花山/真言宗豊山派 (もと大勝院末) |
| 所在地 |
我孫子市寿2−27 |
| 本 尊 |
不動明王
他に子将神像、えびす、大黒天 |
由 緒
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延寿院は別の場所にあったが、大正7年に子之神大黒天社境内へ移った。子之神大黒天社は、行基菩薩が諸国の国分寺を巡錫した折りに下総国分寺で薬師如来と十二神将・大黒天を刻んで安置したが、国分寺が度々火災にあい焼損するため、像を各地に分散奉遷した。子大将神と大黒天を湖水を見下ろし松杉や厄除の霊木であるヒイラギが群茂しているのに随喜して、康保元年(964)正月八日子の日に一宇を建てたのが大黒天社であるとされている。足腰の疾病に効験があるとの信仰がひろまり参詣者で賑わった。
延寿院の由緒は不明である。現在の本堂は、罹災により昭和46年に再建されたものである。 |
| 新四国相馬霊場 |
四十三番予州明石寺移し:もと延寿院のもので、切妻造り正面唐破風屋根。
三十八番土佐金剛寺移し:もと子之神のもので、昭和13年に再建されている。切妻造り唐破風屋根。 |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
G10月下旬に紫灯護摩が行われる。
G関東三十三観音霊場(ぼけ封じ)二番札所。
G「かねのわらじ」:絵を参照。
G子之神古墳群:1基の前方後円墳と13基の円墳で六世紀に作られた埴輪を持っている。
G境内に「日本正統 少林寺拳法道場」があり、練習が行われている。 |
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本 堂
手前の杉枝の山は、「柴燈護摩火渡り」に使われるもの。 |
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「かねのわらじ」本尊の子之神は、諸病を除去し、宿願をかなえてくれる威神力を持つ神といわれ、とくに腰下の疾患にご利益があるといわれる。この脚腰の象徴である「わらじ」は、健全な長い人生の歩みを表し、たとえどんな茨の道でもすり切れることなく、加えて小判の形を踏み残すといういわれがある。 |
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10月最終日曜日頃に「柴燈護摩火渡り」が行われる。山伏に続いて、信者約500人が火を渡る。
渡り終えたおばあさんに「熱かった」と聞いたら、そうでもなかったとの答えであった。“心頭滅却すれば火もまたすずし”か。 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
不動院大光寺/南海山/真言宗豊山派 |
| 所在地 |
我孫子市緑2−3−1 |
| 本 尊 |
不動明王
両脇に弘法大師、興教大師が安置されている。夢告大師像。
須弥壇の左に定印の釈迦、観音、右に定印の阿弥陀、至勢を安置されており、これはこの世の此岸で極楽浄土を説くために派遣された釈迦と、あの世の彼岸で往生社を迎え接待する阿弥陀をあらわしているのではないかとされている。 |
由 緒
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法流開基は、小金大聖院から閑居した秀恕法印とされている。
創建は、室町時代とされている。度重なる罹災にあい、現本堂は、昭和22年に改築された。
嘉永4年(1851)に高野山から夢告大師像を迎え、四十二番厄除大師として信仰され参詣が盛んであった。 |
| 新四国相馬霊場 |
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| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
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本 堂。
境内では、「ひかり幼稚園」を経営、元気な子供の声が響く。 |
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鐘楼は江戸時代建立。梵鐘は昭和17年に供出し、昭和54年に新鋳された。 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
無量院/日照山/真言宗 (もと龍泉寺末) |
| 所在地 |
我孫子市青山162 |
| 本 尊 |
不動明王
本尊のに配されている矜羯羅、制た迦の2童子。2体の十一面観音像。 |
由 緒
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我孫子で2番目に古い正和元年(1312)銘の板碑があり、鎌倉時代の在領主の拠点の祭祀の場所であったとみられている。あきらかでないが、室町時代の十一面観音像があり、それ以前の草創と思われる。現本堂は、昭和62年新築、入母屋造り、向拝付、銅板葺。 |
| 新四国相馬霊場 |
六十五番予州三角寺移し。
昭和8年に再建された堂には、中央に石造りの大師像と左右に木造の享保5年に造られた弘法・興教大師像を安置。 |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
| 見 所 |
G正和元年(1312)の銘がある我孫子で二番目に古い板碑。
G相馬霊場を創設した観覚光音の石彫位牌型御影図像。 |
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| 本 堂 |
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境内には、多数の石仏などがある。 |
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| 寺院名/山号/宗派 |
最勝院/興旭山/真言宗豊山派 (もと龍泉寺院末) |
| 所在地 |
我孫子市高野山554 |
| 本 尊 |
不動明王
大日如来。 |
由 緒
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寺は、成田街道・R356沿いにあり、明治の「寺院明細帳」によれば、天正20年辰年(1592)創立、その後寛保元年辛酉年(1741)開祖祐意和尚再建と記されている。文化7年(1810)に小林一茶が立ち寄っている。
現本堂は、昭和49年に新築、入母屋造り、向拝付、瓦葺。 |
| 新四国相馬霊場 |
二十七番土佐神宮寺移し。堂は明治37年改築、入母屋造り、向拝付、瓦葺。堂内には、如来形立像、不動明王立像、菩薩形立像が安置されている。 |
| 僧坊など |
僧坊:○ |
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| 成田街道R356沿いに建つ本堂。 |
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入口には新四国相馬霊場の案内石柱が立つ。 |
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