藤沢市

片瀬諏訪神社例大祭
祭名称 藤沢市・片瀬諏訪神社例大祭
神社名称 片瀬諏訪神社
祭 神 建御名方命(男神)、八坂刀売命(妃神)

注)建御名方命・武南方神(男神、たけみなかたのみこと):大国主命の子で事代主神の弟。古事記によれば、大国主命が天照大神から地上の国の統治権の禅譲を命令された国譲りの交渉で天降った経津主神と建御雷神は、大国主命の子の一人である事代主神から譲る意志を示されたが、大国主命はもう一人の子である建御名方命の意見も聞いて貰いたいといった。そこへ建御名方命が1000人でも持ち上げられない大石(千引石)を軽々と持って来た。そして力くらべで決めようと提案し、建御雷神の手をつかんだところ建御雷神の手は氷柱になり、次いで剣刃に変わった。驚いて引いた建御名方命の手を建御雷神が握ると葦のように柔らかくなっていた。出雲を出て、信濃国諏訪湖のほとりへ行き、諏訪大社の祭神となった。武神としての信仰が篤い。
 八坂刀売命(妃神、やさかとめのみこと):建御名方命の妃神。諏訪大社の祭神。神系は詳らかでない。
由 緒 由来:諏訪神社は全国に10000社近くあるとされるが、上社・下社を備えているのは信濃国諏訪の信濃国一之宮の諏訪大社と片瀬の諏訪神社のみといわれている。
片瀬諏訪神社の創立は、養老7年(723)に諏訪大社の分霊を勧請したのが始まりで、両社は別の地にあったが、上社は天長3年(826)に、下社は弘仁3年(612)に現在地に移された。社殿は、元弘3年・元徳4年(1333)に新田義貞の鎌倉攻めにより類焼し、安永7年(1778)に改修された。その後、甘糟豊太郎・三郎・四郎の三兄弟が社殿を造営・整備した。
ご利益:古くは狩猟の神として崇められてきたが、のち農耕神、武神として信仰されている。
開催日 本祭毎年  8月23・26〜27日
場 所
祭り開催場所:神奈川県藤沢市片瀬
問い合わせ先:片瀬・諏訪神社
 神奈川県藤沢市片瀬2−21−16 電話:0466−22−5843
主なアクセス
JR東京−(東海道線)−JR大船下車−(湘南モノレール)−湘南江ノ島下車−祭りパレード見物:徒歩約10分、神社:徒歩約15分

JR東京−(東海道線)−JR藤沢下車−(小田急)−川瀬江ノ島下車−祭りパレード見物:徒歩約15分、神社:徒歩約20分
JR東京−(東海道線)−JR藤沢下車−(江ノ電)−江ノ島下車−祭りパレード見物:徒歩約10分、神社:徒歩約15分
浦賀の地図
見所時間
見所
  江戸前担ぎで担がれる神輿と屋台・山車が渡御・巡行するパレード。
月 日 時 間 内 容 場 所
26日 夕方〜 宵 宮 神社境内
27日 4.00〜 濱降祭(神輿・屋台)
その後神輿が各町内の御神酒所を渡御する。
腰越海岸
市街地
18.00〜 パレード(神幸祭)
ぶん回し(4ヵ所)
龍口寺〜R467〜諏訪神社
注1)日程は、2006年に実施されたもの。
市概要 人口:39.8万人、所帯数:16.3万世帯 (2006.8)
参考資料など 片瀬の住人様に、山車の製作年などの情報を頂いた。
名称・呼び名 山車
分 類
分 類 舞台屋台 合 計
台 数
注)祭りには、山車5台と同じ町内の屋台5台がでる。山車は、昔は、各町内に人形が載った山車があったというが、現在のものは当HPでいう舞台屋台の形状で、ここでは舞台屋台に分類した。
5台の屋台は、大唐破風屋根で提灯などで綺麗に飾り付け、載せた楽器で囃子を演奏しながら引き回されるが、人が乗らない小型のものであり、分類から外した。
江ノ島
稚児が淵から相模湾を望む 江ノ島は、堆積した砂浜(陸繋砂州・トンボロ)で片瀬海岸とつながる周囲約4kmの陸繋島(注6)。
 小田急・片瀬江ノ島、江ノ電・江ノ島、湘南モノレール・湘南江の島駅がある藤沢市片瀬から、オリンピックの時に埋め立てて作られた自動車道と歩道、元禄地震によって隆起してできた道など3本の道で徒歩10〜15分で行くことができる。
 江ノ島には、展望塔・聖天島・海食崖・稚児が淵・江ノ島岩屋・江島神社・江ノ島弁天など1日では見切れない多くの見所がある。

江の島岩屋は、波の浸食によってできた自然の洞窟で古くから信仰の対象となっている。また、龍窟と呼ばれる現在も侵食進行中の洞窟もある。
 寿永元年(1182)には、源頼朝と鎌倉武士47名が文覚上人を招いて岩屋にて戦勝祈願を行ったとされている。しかし、昭和46年に落石の危険があるため閉鎖されたが、平成5年に落石防止工事が行われ、現在は入れるようになっている。
 入洞料:大人500円、子供250円。

江島神社
 社伝によると、第29代欽明天皇13年(552)に、「欽明天皇の御宇(注1)、神宣(注2)により詔して、宮を島南の竜穴に建てられ、一歳二度の祭祀この時に始まる」とあり、欽明天皇の勅命で、島の岩屋に神様を祀ったのが、始まりとされている。
 祭神は、福岡宗像大社や広島厳島神社と同神の三人姉妹の江島大神で、奥津宮を本宮御旅所と呼び多紀理比賣命、中津宮を上の宮と呼び市寸島比賣命、辺津宮を下の宮と呼び田寸津比賣命を祀った。また、御窟は本宮と呼ばれ、海運、漁業、交通の守護神とされた。古くは江島明神と呼ばれていた。
 第42代文武天皇4年(700)には、修験者・役小角(注3)がこの御窟に参籠して神感を受け、 泰澄・道智・弘法・安然・日蓮などの名僧が、次々に行を練り、高い御神徳を仰いだという。
 その後の神仏習合により、金亀山与願寺と号した。

 この間、朝廷や武将の信仰は篤く、源頼朝は鳥居を奉納、また、北条時政は参籠し龍の三つの鱗を授けられ、それを家紋としたという。後宇多天皇は、蒙古軍を撃ち退けた御礼として、江島大明神の勅額を奉納した。
また、江戸時代には、海の神・水の神・幸福を招き・財宝を招き・芸道上達の功徳を持つ神として、江島弁財天への信仰が集まり、 江ノ島詣の人々で賑わいを見せた。

 辺津宮の境内に昭和45年に建てられた奉安殿には、八臂弁財天(注4)と、裸弁財天とも呼ばれる妙音弁財天(注5)が安置されている。この妙音弁財天が、江島弁財天と呼ばれ、安芸の宮島・近江の竹生島の弁財天とともに、日本三弁財天とされている。
また、辺津宮には、十五童子像・後宇多天皇の勅額・弁財天像扁額・ 弘法大師の手形が押された護摩修法による弁財天像がある。
 拝観料:大人・150円、中高生・100円、小人・50円 (25名以上団体割引あり)
 江島神社オフィシャルサイト:http://www.enoshimajinja.or.jp/
 (出典:江島神社HPなど)

注1)御宇(ぎょう):天子が天下を治めている期間。
注2)神宣(しんたく):神のお告げ。
注3)役小角(えんのおづの):役行者のことをいう。諡号は、神変大菩薩。奈良時代に大和国葛城山の麓に生まれた山岳修行者で修験道の祖で、本名は賀茂役君小角(かものえのきみおづの)といい神道の名家賀茂一族の分家。多分に伝説的な人物で、634年に生まれたとの説もあるが信頼性が薄い。葛城山に住んで修行、吉野の金峰山・大峰などを開いたという。また、役小角は、鬼神を使役しいろいろな奇跡をなしたとされ、前鬼後鬼の護法(修験道者が使役した、童子形の守護童子)を従えた姿で表される。699年韓国連広足の讒(ざん)によって伊豆に流された。
注4)鎌倉時代初期の作。源頼朝が鎌倉に幕府を開くとき、奥州の藤原秀衡調伏祈願のため、 文覚上人に命じて造らせ、二十一日間祈願させたことが、「吾妻鏡」に記されている。 江戸時代には、八臂弁財天は勝運守護の神様として武家から庶民にいたるまで広く信仰を集めていた。八本の手をもちその手にはそれぞれ武器を手にしている、鎌倉時代に源頼朝が戦勝祈願の為に作らせた、つまり戦の神として奉られたもの。
注5)妙音弁財天は裸弁財天とも呼ばれ、裸体に琵琶をかかえ、音楽・芸術の神として江戸時代以降に奉られたもの。
注6)陸繋島(りくけいとう):砂州によって陸地とつながった島。
鶴岡八幡宮
鎌倉幕府や源氏武士に関わる多くの遺跡や神社・仏閣があるが、他のサイトを参照ください。
    
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