鹿嶋のご神幸
鹿島神宮 祭事・行事・山車祭 鹿嶋のご神幸
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鹿島神宮 祭頭祭
祭名称 鹿嶋のご神幸 (鹿島神宮例祭・神幸祭・行宮祭・還幸祭、御神幸山車祭、提灯まち)
神社名称 鹿島神宮
祭 神 武甕槌大神
由 緒  天地の始めに高皇産霊神と天照大御神の命を受けて日本の国譲りと神武天皇の東征を成功に導いた武甕槌大神が、皇紀元年(紀元前660年)に日出る東の“かしま”に神武天皇の勅命を以て祀られた。
東国三社の一つ。神の武甕槌大神は武道の神で、鹿島神宮周辺は武芸が盛んであり剣聖といわれる塚原卜伝を生んでいる。
 本殿は国指定重要文化財、宝物館には茨城県唯一の国宝である直刀「ふつのみたまのつるぎ」が保存され、その他にも国・県指定の文化財が多い。
祭神の武甕槌大神へ天照大神からの命令を伝えたという天迦久神が鹿の神霊とされており、神社のお使いは神鹿。奈良の春日神社の鹿も、神護景雲元年(767)にここから連れて行かれたとの説もある。(逆の説もある)
その昔、この地方は、「かしま」といい「香島」と書いていたが、養老7年(723)頃から「鹿島」と書くようになったといわれている。鹿嶋が市になったのは1995年と新しく、そのとき既に佐賀県に鹿
市があったため鹿市となった。
御利益  鹿島神宮の神の御神徳は、平国の剣による国譲りの交渉の成功であり、神武天皇東征時における「フツの御魂の剣」によって国を治め、天下に平和をもたらしたことから、必勝成就が最大の御利益。その他、旅行安全、五穀豊饒、殖産、安産、開運など。
開催日 9月1〜2日 (他にも多くの祭事・行事がある)
場 所
アクセス
場所:茨城県鹿嶋市
東京からの主なアクセス(2005年3月時点:要確認)
JR東京−(特急あやめ)−佐原−(鹿島線)−鹿島神宮
 時間:約3時間、料金:片道 1,890(乗車券)+1,260(特急券=3,150円)
高速バス
 東京駅(下り:八重洲南口、上り:日本橋口)−鹿島神宮駅
 時間:約2時間、料金:片道 1,780円
車:東関道・潮来インターから約20分
浦賀の地図
見 所
利根川や北浦で隔てられているとはいうものの、鹿島・潮来・佐原は、隣接した町であり、山車や囃子を見る限り共有した文化を持っている。山車についてみれば、細部に異なる部分はあるが、2高欄を持つ2層型、固定車輪(旋回装置がない)、しゃがむ格好で上下する人形など基本的には同じで、3市の山車を一堂に曳き揃えたとしても区別がつきにくいと思われる。これらの山車の型は、他の祭りには見られず、この地区で醸成されたものであろう。また、囃子も潮来囃子、鹿島囃子があるが、佐原囃子系と呼ばれる。
鹿島神宮の祭りを地元の一部で「ご神幸」と呼ばれていることから、例祭・神幸祭・行宮祭・還幸祭、提灯まち、山車祭などの祭事・行事は「鹿嶋のご神幸」と呼ばれ、9月1〜2日に行われる。
見所時間:9月1〜2日
月 日 時 間 内 容 場 所
1日 20.00〜 神幸祭 神社〜町内
16.30頃〜 提灯まち 神宮前大町通り
10.00〜22.00 山車祭 (詳細下記) 各町内〜神宮前大町通り
2日 10.00〜 行宮祭 楼門前行宮
15.00〜 還幸祭 行宮〜神宮前大町通り〜神社
10.00〜22.00 山車祭 (詳細下記) 各町内〜神宮前大町通り
山車祭詳細
月 日 時 間 内 容 場 所
1日 10.00〜 乱曳き
(各町内でそれぞれ曳く)
各町内
15.00頃
17.00頃
山車の整列 神宮前大町通り
仲町交差点
18.00〜 総踊り・のの字廻し 仲町交差点
19.00頃〜22.00 乱曳き 各町内
2日 10.00〜 乱曳き
(各町内でそれぞれ曳く)
各町内
13.00〜 一斉踊り・通し砂切り 新町通り
13.40〜 役曳き 新町通り〜各町内
15.00〜15.30 勢揃い・還幸祭見送り 神宮前大町通り
18.30〜 年番引継 大町通り
19.00〜22.00 乱曳き 各町内
注1)表は、2006年のもの。
  2)祭りは、小雨決行。
  3)案内所で「パンフレット」が配布されている。
  4)午年の12年毎に御船祭(みふねさい、大規模な川渡御)が行われる。御船祭の年の春に、対岸の香取神宮でも同様な形式の式年大祭が行われる。
鹿島神宮の祭事・行事は、年間50件近くある。
参考資料 鹿嶋市観光協会会発行パンフレットなど
市概要 人口:6.5万人、所帯数:2.4万世帯 (2006.8)
名称・呼び名 山車。個々の呼び名は、町内の名前で呼ぶ
分 類
分 類 人形山車
2層
人形上下型
台 数
外観・容姿表装 白木造り
車 輪 4輪/板車/車体外側 (数/形状/位置)
昇降口 外部に梯子をかけて昇降する
梶/方向転換 換向装置はなく、左右2本の梃子で車輪に制動をかけたり、無理矢理車輪を滑らせて換向する
囃 子 鹿嶋囃子(佐原囃子系)
塚原ト伝の墓
墓は、鹿嶋市郊外の田圃に囲まれた雑木林の小高い丘が連なる中腹(右下絵)にひっそりとある。
花を供えた形跡はないが、簡素な墓標の周りは掃き清められている。

1489〜1571。名は高幹、土佐守。延徳元年(1489)に鹿島神宮の祠官の卜部覚賢の次男、塚原土佐守安幹の養嗣子になる。兵法家飯篠長威斎の刀槍術を継承し、また、柳生新陰流の柳生石舟斎(宗巌)も門弟であった上野国の上泉武蔵守信綱(伊勢守秀綱)にも学んだ。独自に工夫した「一之太刀」秘伝を織り込んだ鹿島新当流・卜伝流などとも呼ばれる新当流剣術を創始し、将軍足利義輝・伊勢国司北畠具教らに指南した。
琵琶湖の船中で武芸者から真剣勝負を挑まれたが、うまく相手を小島に置き去りにしたとか、生涯敗れることなしなどの逸話が多い。「ト伝百首塚」によれば、塚原ト伝は、生涯に真剣勝負が19回、参加した合戦が37回、その間一度も不覚をとらず、212人の敵を討ち取ったという。剣の強さばかっりでなく、人一倍用心深く往年82才であった。
鹿島神宮では、毎年6月第2日曜日に「鹿島神宮古武道奉納演武」が催され、鹿島新當流をはじめとして鹿島に伝わる古武道が披露される。
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Page Last Updated 2008.9.10
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