鉾田の夏まつり
叶神社例大祭 叶神社例大祭
祭りのアルバム 山車一覧
祭  内  容
祭名称 東叶神社例大祭
西叶神社例大祭
神社名称
横須賀市浦賀 東叶神社
西叶神社
祭 神 東叶神社:誉田別命(第15代応神天皇)
西叶神社:誉田別命(第15代応神天皇)
祭りの由緒 ○東叶神社
養和元年(1181)に京都高峯山神護寺の僧文覚が、源家の再興を願って、石清水八幡宮の霊を勧請したことによるとされ、その後、源頼朝の願いが叶ったことから文治2年(1186)に叶大明神と呼ばれるようになった。今は、鎮守さま、氏神さま、明神などと呼ばれ親しまれている。
神社の裏の標高約50mの裏山は、県の天然記念物に指定されており明神山と呼ばれている。後北条氏の頃、時々房総半島から里見水軍が、三浦半島に攻撃してきたのを防ぐために、この明神山に水軍が置かれた。また、山頂には東叶神社の奥宮があり、側に勝海舟が断食をした場所がある。
境内には頼朝が伊豆から移植したという蘇鉄が茂っている。
(出典:境内の掲示板)
○西叶神社
平家の横暴ぶりに憤慨した文覚上人が、上総國鹿野山に籠もり、山城國岩清水八幡宮に源氏の再興を願い、それが叶えられたことから、養和元年(1181)にその霊を奉還したのが始まりという。
社殿は、天保8年(1837)に焼失したため、当時の金約3000両で天保13年に再建した。社殿内部を埋め尽くす彫刻は、当時20才代の名工・安房國千倉・後藤利兵衛橘義光のもの。
裏山には、丈覚畑と呼ばれる丈覚上人の庵室跡がある。
毎年9月に行われる祭礼に奉納される、県指定無形文化財の「虎踊り」のセリフの一部に 「アリャアリャ、ありがたや、叶明神の威徳をもって、虎もやすやす従えたり、皆々いさんでカッピキュー」とある。当時は、三浦半島に虎がいたのかは不明。

現在、東・西叶神社の祭礼は、同じ日に行われているが連携はないようである。
開催日 9月第2土・日曜日
場 所
・東叶神社:神奈川県横須賀市東浦賀町2−63
  電話:東叶神社:046−841−5300 神社HP:www.geocities.jp/fnhachiman2000/kanouhome.html
・西叶神社:神奈川県横須賀市南浦賀
  電話:西叶神社:046−841−0179
・アクセス:京浜急行浦賀駅徒歩約20分 (バスあり)
 東・西神社は、浦賀港を挟んだ両岸にあるが、日中は渡し船で行き来できる。
浦賀の地図
市概要 人口:42.8万人、所帯数:16.5万世帯 (2005.8)
問い合わせ先:横須賀市役所:046−822−4000
屋  台  内  容
名称・呼び名 屋台・山車
分 類
分 類 人形山車 舞台屋台 合 計
3層
人形上下
枠上下型
東神社:台数
西神社:台数 10 10
囃 子 鎌倉囃子系
見  所
見所時間
内 容 時間 場所
内 容 東神社 西神社
土曜日 日曜日 土曜日 日曜日
神事 10.00〜
神輿・山車の
巡行・勢揃い
10.30頃〜
18.00頃
(神社〜
京急浦賀駅)
12.00頃〜
19.00頃
(神社〜
京急浦賀駅)
注1)日程は、2005年に実施されたもの。
  2)*は、未調査。
その他見所 ●勝海舟
幕末に、遣米使節の護衛艦であった咸臨丸の艦長の勝海舟は、航海前に、東叶神社にある井戸で水垢離をしたあと、明神山で断食したとされている。
●浦賀城跡
東叶神社の裏手の明神山は、小田原北条氏の頃、伊豆下田の領主が三崎城の出城として水軍の砦を築いたので、下田山、あるいは、城山と呼ばれていた。
●浦賀の渡し
浦賀港の両岸の東西浦賀は、ちょうど東・西の叶神社あたりで渡船が運行する。
運行は古くからあり、享保5年(1720)の文献にすでに載っているという。
現在この航路は、横須賀市道2073号で「浦賀海道」と名付けられている。船が対岸にいる場合にはボタンを押せば来てもらえる。2〜300mで150円。
祭りのアルバム
 2005年は、真夏のような残暑の厳しい一日であった。浦賀ドック(注1)の跡などもある歴史を感じる町は、浦賀港の両岸に東叶神社、西叶神社が鎮座している。東・西両神社の祭りは、祭行列が巡行する京浜浦賀駅前で鉢合わせることのないように時間をずらせてある程度で、連携はなく別々に行われる。東叶神社の祭行列は、浦賀港の東側を神社から駅前まで、西叶神社のそれは、西側を巡行する。西側の道は、港沿いにあり、浦賀港や浦賀水道を背景に巡行する。未確認ではあるが、房総半島も見えているのかもわからない。巡行は、各町内の神輿と屋台・山車で、宮御輿は3年毎に渡御するが、2005年は陰で、神社境内に置かれていた。
注1)浦賀ドック:嘉永6年(1853年)に幕府によって造られた近代的な造船所。翌年には、黒船に対抗するため日本で初めての洋式軍艦・鳳凰丸を建造した。オランダで建造した咸臨丸などの修理も行われた。明治24年(1891)に鳳凰丸建造当時の浦賀奉行与力であった中島三郎助の23回忌にあたり、農商務大臣榎本武揚なども尽力し明治30年(1897)浦賀船渠(株)が設立された。その後、浦賀重工業(株)を経て、住友重機械工業(株)となったが、平成15年に105年の幕を下ろした。この浦賀造船所で建造された艦船は、約1000隻になるという。
 
山車は、各町内毎に先頭の2人の金棒、手古舞、役員などに続き、神輿、屋根・山車が巡行する ときに神輿は崩れるが、みんなは “ 始まったな ”と平然と見ている
山車は、各町内毎に先頭の2人の金棒、手古舞、役員などに続き、神輿、屋根・山車が巡行する。神輿は、子供神輿を持つ町内もあり、江戸前担ぎで渡御する。 ときに神輿は崩れるが、みんなは “ 始まったな ”と平然と見ており、なかなか立て直さない。確かに神輿の大きさと担ぎ手の人数から、立て直せないことはなく、パフォーマンス。
東叶神社の巡行は、人形山車を先頭に東叶神社から浦賀湾の東岸の道を京急浦和駅前まで巡行する 西叶神社の巡行は、浦賀港から浦賀水道が望める東岸の道を京急浦和駅前まで巡行する
東叶神社の巡行は、人形山車を先頭に東叶神社から浦賀湾の東岸の道を京急浦和駅前まで巡行する。人形は、休息中や駅前であげる。
絵は休息中で、神輿やメンバーは、休息所へ入り一息ついている。
西叶神社の巡行は、浦賀港から浦賀水道が望める東岸の道を京急浦和駅前まで巡行する。
神輿の中には万灯神輿(絵の屋台のうしろ)もあり、箪笥を叩いて担ぐ「どっこい担ぎ(湘南地区)」が見られた。
また、房総の祭りの屋台に見られる国旗を掲げた屋台もあり、観音崎と富津岬とは海に隔てられているとはいえ10kmもない近さで、交流があったことが伺える。
神社の近くに「浦賀の渡し」があり、2〜300mほどを150円で渡してくれる 西叶神社の社殿の虹梁・欄間などには房州・後藤利兵衛作の彫刻が嵌め込まれている
東叶神社と西叶神社は、浦賀湾を挟んだ両岸にあり、神社の近くに「浦賀の渡し」があり、2〜300mほどを150円で渡してくれる。中央が赤い船体の渡し船。 西叶神社の社殿の虹梁・欄間などには房州・後藤利兵衛作の彫刻が嵌め込まれている。とくに、拝殿格天井の花鳥の彫刻は、動植物的にも貴重なものという。(このページの背景は、その一部)
後藤利兵衛は、この作品が認められ、幕府のお抱え彫刻師になったという。
東叶神社の狛犬は、両方とも吽 西叶神社の狛犬は、両方とも阿 小泉首相の地元。郵政解散の選挙の看板も
現在は、東・西叶神社の連携はないようであるが、一説には東・西叶神社は一対をなしており、例えば、上左絵の東叶神社の狛犬は、左右とも吽型、西叶神社の右絵のそれは阿型となっているという。 見物日は、郵政解散の衆議院の投票日で、小泉首相の地元であり、選挙ポスターもあった。
    
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