祭
内
容 |
祭名称 |
富士山本宮浅間大社例祭、富士宮秋まつり |
| 神社名称 |
富士山本宮浅間大社
(静岡県富士宮市宮町1−1) |
| 祭 神 |
神体:富士の高嶺
祭神:木花開耶姫 |
| 由 緒 |
第七代孝霊天皇の御代に富士山が噴火し鳴動が激しくみんな恐れて逃散して国中が荒れ果てたため、第十一代垂仁天皇が、垂仁天皇3年に浅間大神を山足に祭り山霊を鎮めたのが起源とされる。第十二代景行天皇の御代の日本武尊が東夷征伐のときに駿河国で賊徒の野火に遭ったが、富士浅間大神を祈念してその難を逃れ、その賊を征服した後山宮に大神を篤く祭った。その後、第五十一代平城天皇の大同弦念坂上田村麻呂が勅を受けて現在の場所に壮大な社殿を建造し、山宮から遷して鎮した。以来総本社として、全国に1300余りの浅間神社ができた。
古くから、朝廷の尊祟篤く駿河国一宮として、源頼朝は神領を寄進、北条義時・足利尊氏・義持らも社殿を修繕、武田信玄・勝頼は宝物を献上、豊臣秀吉も神領を寄進した。また、徳川家康は本殿などを奉建、富士山の八合目から上を寄進した。歴代の徳川家の祟敬は深かった。
●主な恒例祭典
・節分祭:節分当日:除厄開運祭ともいい、鳴弦式、および年男による豆撒式が行われる。
・流鏑馬祭:5月4〜6日:建久4年(1193)に源頼朝が富士の裾野で巻狩を行ったときに奉納したのが始まりという。5日の本祭に60頭余りの馬に神職・武者・稚児などが騎乗した市中練行のあと、境内桜の馬場で流鏑馬が行われる。
・御田植祭:7月7日:本宮で式典後、神職・田長・田代役・早乙女が行列して道楽を奏しながら神田へ行き、早乙女の田舞のあと、御田植祭が行われる。
・開山奉告祭:7月7日、閉山奉告祭:9月7日:富士山の開山の7月1日〜8月31日にあたり、神前に奉告する。
・例祭・富士宮秋まつり:11月3〜5日
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| 鉾立石 |
●主な建造物など
・本殿・拝殿・楼門:徳川家康が慶長9年に奉賽した。
・鉾立石:古来4月、11月の大祭礼山宮神幸の節に神鉾を置いた石。
・湧玉池:富士山の雪解け水が湧出する池で、特別天然記念物。
・奥宮:富士山の八合目より上で、約120万坪あり、富士山本宮浅間大社の神体として崇められている。本殿はなく、拝殿・幣殿やいろいろな霊場行場がある。
・大内院:旧噴火口で幽宮ともいう。
・八神峰:富士山頂大内院の周辺にある、剣ヶ峰・白山嶽・久須志嶽・成就嶽・朝日嶽・浅間嶽・三島嶽の八神峰をいい、これらを巡拝すろことを御鉢廻りという。一番高い剣ヶ峰は3,776mある。 |
| 開催日 |
11月3〜5日 |
場 所

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| ・静岡県富士宮市 |
| ・問い合わせ先:富士宮市観光協会:電話:0544−27−5240 |
・東京からの主なアクセス(2004年11月時点:要確認)
pJR東京−(東海道本線・特急東海)−富士−(身延線)−富士宮
時間:約115分+17分(乗車時間)、料金:片道・乗車券 2,520円+特急券 2,090円
・JR新宿−(中央線・特急)−甲府−(身延線・特急)−富士宮
時間:約87分+92分(乗車時間)
料金:片道・乗車券 3,570円+特急券 1,570(特急スーパーあさま)+1,460(特急ふじかわ) |
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| 市概要 |
人口:12.5万人、所帯数:4.4万世帯 (2004.9) |
屋
台
内
容 |
名称・呼び名 |
屋台・山車 |
| 分 類 |
| 分 類 |
人形山車 |
舞台屋台 |
屋根屋台 |
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合 計 |
3層 人形上下
枠上下型 |
3層 人形固定
枠上下型 |
| 台 数 |
12 |
2 |
5 |
1 |
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20 |
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| 囃 子 |
富士宮囃子 |
見
所 |
| ●見所時間:11月3〜5日 |
| 内 容 |
場 所 |
3日(前夜祭) |
4日(本祭) |
5日(後日祭) |
宮まいり
前・後組20区の囃子奉納 |
浅間大社本殿前 |
前組:9.00〜
後組:10.00〜 |
− |
− |
勢揃い・囃子の一斉演奏
20区の屋台・山車 |
浅間大社前目抜き通り |
− |
一押し見所
16.00〜 |
− |
屋台・山車練行
踊り・競り合い |
浅間大社前目抜き通り
登山道 |
− |
一押し見所
16.30〜 |
− |
| 屋台・山車の引き廻し |
各区内 |
− |
− |
終日 |
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注1)日程は、2004年に実施されたもの。 |
感
想 |
・前夜祭に行われる宮まいりは、各区がみんなで浅間大社へ参拝する行事です。この行事は、むかし、屋台・山車を出すことができなかったことがあり、このままでは祭りがなくなると憂い、せめて各区のみんなが一緒に浅間大社へ参拝しようと始まった行事といわれています。屋台・山車の経歴をみても大火で失ったり、出さなかった期間があったりで現在の姿になるにはかなりの苦悩・変遷があったようです。それだけに、住民の方々の祭りにかける意気込みが感じられる、厳粛で壮大で楽しい祭りでした。 |