二本松のちょうちん祭り
祭名称 二本松神社例大祭 二本松のちょうちん祭り
神社名称 二本松神社
祭 神 二本松神社には、八幡宮と熊野宮が祀られている。
八幡宮祭神:品陀和気命・気長足媛命
熊野宮祭神:伊佐奈美命・事解男命・速玉男命(注)

注) 伊佐奈美命・伊弉冉尊(日本書紀)伊邪那美命(古事記)(いざなみのみこと)
:記紀神話の男神(伊弉諾尊・伊邪那岐命)に対する女神。天地創成神話の神代7代の二柱で、世界創成の最後に生まれた神で、伊奘諾尊と伊奘冉尊とで万物を産んだ。
事解男命(ことさかおのみこと)・速玉男命(はやたまおのみこと):伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に自然物やそれを司る神々が次々に生まれ、最後に生まれた三貴子。
伊奘諾尊・速玉之男命(早玉男命)・(黄)泉津事解之男命は、熊野三社権現。
「こと・事」、「さか・離(さか)」で、関係を断つとことで、黄泉との関係を断つ神、離縁の神とされる。
品陀和気命(ほんだわけのみこと)応神天皇・誉田別尊・品陀和気命・胎中天皇
 (ほんだわけのみこと)仲哀天皇と神功皇后の第4皇子。神功皇后と応神天皇の関係は、父親不在の、マリアとキリスト、摩耶(釈迦の母)と釈迦の関係と同じ処女懐胎の母子信仰とされている。
神々の中で最初に仏名を持った神で八幡大菩薩といわれる。
神功皇后が新羅へ出征し、凱旋の日に筑紫の宇美で生れた。幼少時代は神功皇后が摂政として天皇を助けた。
勢力が発展し、大陸文化が盛んに輸入された。また、この時代に儒教が始まった。日本文化の興隆に貢献した大和朝廷の傑出した文化人指導者であった。
神功皇后とともに、八幡神にこじつけて、皇祖神や武神として各地の八幡宮に祭られている。 
気長足媛命・息気帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・神功皇后:170〜269。14代仲哀天皇の配偶神。古事記の仲哀紀、日本書紀の神功皇后紀に英雄的支配者、神秘的霊威力を示す巫女として記述されており、「記紀」によれば、熊襲を平定するために仲哀天皇に同行して筑紫へいった。天皇が香椎宮で急死すると、皇后は妊娠していたが武内宿弥とともに朝鮮半島の新羅を攻略制圧、百済・高句麗も帰服した。帰国後応仁天皇を産んだ。
その後、大和へ帰り、応神天皇が即位するまで摂政を行い、100才まで生きた。
山車の人形の題材になっている。
由 緒 神社:藩政期(藩主がその領地内で行う政治)に後両社とよばれた二本松神社は、寛永20年(1643)に入部した丹羽光重が、畠山時代に白旗ヶ峯に鎮座していたもの(祭神は畠山ともいう)を城の改築の際にこの地に遷宮し、丹羽家と領民の守護神とした。社殿は文化2年(1805)に築造されたものが残る。
その後、八幡宮と熊野宮が祀られ、例祭ではこの2社の神輿が八幡宮は隔年で松岡町と本町の若連が交代で、また、熊野宮は毎年亀谷町の若連が神輿を担ぐ。

提灯祭り:入部した丹羽光重が「よい政治を行うなうためには、領民にまず敬神の意を高揚させること」とし、領民の祭りとしたのが始まりという。
開催日 本祭毎年  10月4〜6日 (2006時点)
場 所
祭り開催場所:福島県二本松市
問い合わせ先:
二本松観光協会(二本松市役所産業部観光課内):電話:0243−23−1111(内線342〜345)
  オフィシャルサイト:http://p133.pcsn.co.jp/~nihonmatsu/
二本松神社:電話:0243−22−1066
主なアクセス
JR上野−(東北新幹線)−郡山−(東北線)−二本松
浦賀の地図
見所時間
月 日 時 間 行事内容 場 所
4日 〜15.00 町内引き:提灯が付かない太鼓台が巡行する。 各町内
17.00〜17.50
(雨天5〜6日に順延)
宵祭り 御神火祭:神社の松明から各太鼓台の松明に遷す行事。
出発式:松明を待ち受ける太鼓台へ運び、提灯に灯を入れる。
神 社

亀谷ロータリー
17.50〜23.40
(雨天5〜6日に順延)
提灯祭:提灯を付けた7台を合同で引廻し、竹田坂(19.40)、亀谷坂(20.20)に並ぶ。提灯太鼓台の7台が揃うのはこの日だけ。 亀谷ロータリー
〜駅前
5日 終日:渡御
夕方:宮入り
本祭り 神輿渡御:2基の神輿が渡御する。 神社〜市街地
8.35〜14.50 合同引き廻し:7台の提灯を付けない太鼓台が揃って巡行する。 駅前〜
亀谷ロータリー
町内引き 各町内
6日 後祭り 町内引き 各町内
17.40〜20.30 3・4町の合同引き: 3町コース・箕輪門(17.45)−竹田−根崎交差点(19.55)
4町コース・亀谷(17.40)−二本松神社(18.35)−若宮交差点(20.00)
箕輪門〜
根崎交差点

亀谷坂上〜
ほまれ会館
注1)日程は、2006年に実施されたもの。
市概要 人口:6.4万人、所帯数:1.9万世帯 (2006.10)
リンク
 リンクして頂いている“ゆきさん“のHP。祭りへの情熱をひしひしと感じるサイト。
参考資料など 二本松若連連合会・二本松提灯祭実行委員会など発行のパンフレット「二本松のちょうちん祭り」など。表題は、パンフレットの一部を使用した。
名称・呼び名 太鼓台
分 類
分 類 舞台屋台
(太鼓台)
合 計
台 数
囃 子
リンクして頂いている“ゆきさん“が2006年に、祭りの祭礼囃子のライブを音源としたCDを発売。
CDは、72分、1枚1200円とお値打ちで、しかも送料無料、税込。
 霞ヶ城・二本松城  菊人形展 
二本松城は、嘉吉年間(1441〜1444)に、奥州探題(注)の畠山満泰によって白旗ケ峰に築かれ、以後、140余年畠山氏9代の居城であった。
天正13年(1585)に城主であった畠山義継は伊達政宗により射殺された。翌年、城は伊達政宗の攻撃を受けて落城。その後、伊達領として片倉影綱・伊達成実などが城代となった。
天正18年(1590)に秀吉が行った奥州仕置で、城は会津若松城主蒲生氏郷の支配下となり、その手で石垣が積まれ、近世城郭が誕生した。

その後の変遷にともない寛永5年(1628)には、加藤明利が城主となったが、加藤家は寛永20年(1643)に領地を返上し、磐城白河小峰より丹羽光重が10万700石で移封され、10年をかけて城を改修、近世城郭の体裁を整えた。
慶長4年(1868)に戊辰の役で、新政府軍と戦い、城内や家中屋敷を焼失した。
明治・大正時代には、城内に残っていた建物は民間製糸工場として活用されたが、その後は公園として開放された。
そして、もともと多層の天守閣はなかったが、平成3年の発掘調査を契機に石垣の修築や箕輪門と2つの隅櫓の修復工事が行われ、平成7年に完成した。
春は1700本もの桜が咲き誇り全山が霞につつまれたようになることから霞ケ城とも呼ばれる。

52回目の「日本最大菊の祭典 二本松の菊人形」は、2006年は新二本松市誕生記念として、「功名が辻」をテーマに城内の一部で開催された。
10月1日〜11月23日
9.00〜17.00
大人:1000円
二本松城・霞が城
菊人形展

注)奥州探題:室町時代から戦国時代における幕府の地方官制。守護に代わって設置された。

 曹洞宗・巨邦山大隣寺  少年隊の墓 
大輪寺は、10万700石の二本松藩主丹羽氏の菩提寺。
寛永4年(1627)に2代丹羽長重が棚倉より白川(白河市)に国替えになり入部し、初代丹羽長秀の菩提を弔うため、白川の円明寺跡に大隣寺を建立した。
3代丹羽光重が白川から二本松に国替えになり、大隣寺も現在地に移された。


幕末の戊辰戦争(注)で佐幕側として最後まで戦った二本松藩は、戦況不利、兵力不足となり、ついに少年たちまで出陣した。
少年隊は、12〜17才の62名で結成され、二本松藩の砲術師範の木村銃太郎(21才)が隊長となり参戦するが苦戦する。
木村も負傷し動けない自分の首を斬って撤退しろと命令、少年たちは泣きながら従う。その後、追い詰められ16名が戦死した。

注)戊辰戦争:慶応4年(1868)の戊辰の年1月から翌年5月にかけて、明治維新の政府軍と幕府派との間で行われた内戦。「鳥羽・伏見の戦い」「上野の彰義隊の戦い」「会津戦争」「箱館戦争」などの総称。
二本松藩主丹羽氏の菩提寺・大隣寺
二本松少年隊の墓
    
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