うちわ祭
うちわ祭 うちわ祭 2008
―― 祭りのアルバム ――
山車一覧
祭  内  容
祭名称 うちわ祭 武州 熊谷 関東一の祇園
神社名称 八坂神社
祭 神 素戔嗚尊
開催日 7月20〜22日
場 所
埼玉県熊谷市
東京からの主なアクセス(2003年7月時点:要確認)
pJR上野−(高崎線)−熊谷
 時間:約1時間15分、料金:片道 乗車券・1,110円
浦賀の地図
参考資料 熊谷市市民経済部商工課発行パンフレット、3代目手力男命さんの情報など
市概要 人口:20.7万人、所帯数:8.0万世帯 (2007.7)
山  車  内  容
屋台の成り立ち  うちわ祭は、京都八坂神社から文禄年間(1592〜)に勧請した八坂神社の祭礼で、その後愛宕神社に合祀された。勧請は、尾張津島祇園天王からとの説もある。愛宕神社は、火伏せの神として大永年間(1521〜1528)に京都愛宕神社から勧請された。
 江戸時代の寛廷3年(1750)に、それまでは各寺社ごとに行っていた祭礼を、同年4月に町民が宿場役人に願い出て、各町内一緒に行うようになり、夏祭りの形が作られたとされている。
 祭りの運営は、各町から総代・崇事係、年番町から大総代が選ばれ、一切の責任を持って行うが、もともと寺社で行っていた名残りで、その頃の祭事係は、役人と同じ権力をもち、ご用番ともいい名誉の役で、旧家でないとなれなかったといわれている。祭りの日には、参勤交代の大小名も通行止めに遭うため、しかたなく熊谷堤を行くことになり、町民は得意であった。
 天保時代(1830〜)には、祭りが益々盛んになり、赤飯を炊いて疫病除けをし、商店では買物客に赤飯をふるまったところから、熊谷の「赤飯ふるまい」といわれ名物であった。その後、泉屋横町の料亭「泉州」の主人が、赤飯のかわりに江戸から買入れた渋うちわにしたところ評判となり、各商店でも少ない買い物でもうちわを出すようになり、「買物は熊谷のうちわ祭りの日に」といわれるようになった。もともと疫病退散祈願に始まった祭りも、五穀豊穣、商売繁盛をも祈願する祭りになった。山車・屋台を引く綱に触れたり、祭りの囃子を聞くと、疫病からのがれられるといわれ、今でも守っている人々が多い。第二次大戦中一時中止になつたが、昭和21年に復活した。
 祭りは、それまで神輿祭であったが、うちわ祭りが盛んになった頃の明治24年に、本町三四(現第弐本町区)が戸隠の山車を江戸から購入したのをきっかけに、旧五ヵ町(本町一二・現第壱本町区、本町三四、筑波区、仲町区、鎌倉区)がこぞって山車・屋台を建造し明治39年に出揃った。
名称・呼び名 山車・屋台。個々の呼び名は、町内の名前で呼ぶ。
分 類
分 類 人形山車 舞台屋台 合  計
3層
人形上下
枠上下型
台 数 12
囃子 熊谷囃子(群馬県新田郡の三手古囃子「世良田三手古」が起源)
見    所
見 所
2〜4個の直径30〜40cmもある大きな鉦を叩くさんてこ系の囃子は、ともすると笛・太鼓が鉦の音にかき消されるが勇壮な囃子である。最初は大きな鉦の音だと思ったが、聴くたびに。
屋台・山車は、道幅の狭い町内の路地を巡行するために、1輪の前輪がセンターピボット式になっており、長柄の間のシートに座った運転手が操縦しています。運転手の横あたりで、別の人が後輪のブレーキの長いレバーを運転手と呼吸を合わせて操縦しています。熟練の技が必要なようです。
祭りは、渡御祭、屋台・山車の巡行、引き合わせ叩き合いなど見せ場が多い、見応えのある企画の祭りです。
見所日時:7月20〜22日
内 容 7月20日 21日 22日
渡御祭
(本宮からお仮屋へ
神輿の渡御)
6.30〜10.30
(八坂本宮〜お仮屋)
屋台・山車の巡行 10.30〜
(各町内)
13.00〜
(国道17号線〜
お仮屋台〜
国道17号線)
午前〜18.00
(各町内付近)
引き合わせ叩き合い
(12台の屋台・山車の
囃子の競演)
19.00〜20.00
(引き合わせ初叩き
JR熊谷駅前)
14.00頃〜(中家堂前)
 15.00頃〜(東京ガス前)
20.00頃〜(八木橋百貨店前)
20.00頃〜
(中家堂前〜お祭り広場)
年番送りセレモニー
(クライマックス)
21.00〜
(お祭り広場)
還御祭
(お仮屋から本宮へ
神輿のご帰還)
24.00〜
注1)表は、2007年のものであるが、毎年ほぼ同じプログラム・時間で実施される。
  2)祭りは、雨天決行。
  3)駅前で「パンフレット」が配布されている。
    
Page Last Updated 2007.8.10
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