越生まつり
辻堂諏訪神社例大祭 辻堂諏訪神社例大祭
山車一覧
祭名称 辻堂諏訪神社例大祭
神社名称 諏訪神社
祭 神 建御名方命(男神)、八坂刀売命(妃神)

注)建御名方命・武南方神(男神、たけみなかたのみこと):大国主命の子で事代主神の弟。古事記によれば、大国主命が天照大神から地上の国の統治権の禅譲を命令された国譲りの交渉で天降った経津主神と建御雷神は、大国主命の子の一人である事代主神から譲る意志を示されたが、大国主命はもう一人の子である建御名方命の意見も聞いて貰いたいといった。そこへ建御名方命が1000人でも持ち上げられない大石(千引石)を軽々と持って来た。そして力くらべで決めようと提案し、建御雷神の手をつかんだところ建御雷神の手は氷柱になり、次いで剣刃に変わった。驚いて引いた建御名方命の手を建御雷神が握ると葦のように柔らかくなっていた。出雲を出て、信濃国諏訪湖のほとりへ行き、諏訪大社の祭神となった。武神としての信仰が篤い。
 八坂刀売命(妃神、やさかとめのみこと):建御名方命の妃神。諏訪大社の祭神。神系は詳らかでない。
由 緒 神社:創建は平治年間(1159)。長野県上諏訪・下諏訪の両諏訪大社の分神を祀り、「辻堂のお諏訪様」と呼ばれ。祟敬されている。
明治6年の神仏分離により、辻堂村社をして、辻堂総鎮守になった。八松稲荷神社など8社の末社がある。
ご利益:家内安全・交通安全・家業繁盛・学業成就。
また、詳細はわからないが、旧辻堂村の四方の丘に、諏訪神社を守るために「北町の天王山・天王社」「西町の熊の森・熊之権現」「東町の権現社(子之神)」「南町の第六天」の4四社が建立されたとの説もある。これらの4社は、全て南向きに(北極星を背にして)建ち、村民を見守ってきたという。
開催日 本祭毎年  7月23・26〜27日
場 所
祭り開催場所:神奈川県藤沢市辻堂
問い合わせ先
主なアクセス
  JR東京−(東海道線)−JR辻堂下車−徒歩約10分
浦賀の地図
見所時間
見所
  立派な人形が載る4台の山車の勢揃い、囃子の競演。
月 日 時 間 内 容 場 所
23日 8.30〜 神社神輿渡御 氏子町内
26日 18.00〜 各町内宮参り
奉納太鼓
神社境内
27日 13.30〜 山車勢揃い
囃子競演
神社付近の四つ角
神社境内
注1)日程は、2006年に実施されたもの。
市概要 人口:39.8万人、所帯数:16.3万世帯 (2006.7)
名称・呼び名 山 車
分 類
分 類 人形山車 合 計
3層・一本柱型
台 数
辻 堂
「辻堂」は、個人的に憧れを感じさせる響きを持つ地名である。それは、修学旅行に行った江ノ島や裕次郎の太陽族の舞台になった湘南海岸などとともにでてくる地名のせいであろうか。
 広辞苑によれば「路傍に建ててある仏堂」とある。
 「辻堂」の歴史を調べると、鎌倉時代には現在の辻堂を含む広い地域は「八松ケ原」と呼ばれていたといい松並木が続く海岸沿いの地域であったのだろうか。今でも辻堂元町にある八松稲荷や藤沢市立八松小学校にその名前が残る。
 足利時代になって初めて「辻堂」の名前が記録として残り、村の中心に鎌倉道との十字路に寺があったことから、「四っ辻の堂」から「辻堂」の地名が付けられたという。その「四っ辻の堂」とは、北の寺の宝珠寺があった所、あるいは、鎌倉時代に創建された南の寺の宝泉寺や諏訪神社がある近くの交差点(現在、辻堂諏訪神社例大祭の囃子の競演が行われるところ)ではないかとの説がある。
 村ができたのは、建久年間(鎌倉時代)に西日本からの落武者が八松ヶ原に入り、開墾した土地で百姓になったといわれている。この落武者が現在この地域に多い姓名の石井・吉田・山田・落合などの先祖との説もあるが、源氏の膝元へ平家の落武者が入ることがあるのかとの疑問もあるという。
 江戸時代には、韮山に反射炉を作った江川太郎左衛門一族がこの地の代官であったこともあり、幕府の辻堂演習場になっていた。また、江戸時代の参勤交代の通過地として助郷が重荷になっていたという。
 現在の辻堂は、太陽の季節の舞台になり、また、サーフィンのメッカとなっている相模湾・湘南海岸まで四っ辻から直線距離で約1kmで湘南の中心地。また、正月の箱根駅伝の中間通過地としても知られる。

注1)助郷(すけごう):宿駅常備の伝馬・人足が不足したするときに、応援の人馬を負担する近隣の郷村の制度。
    
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