都内の屋台・山車  
 東京都内(23区)の祭りは、現在では神輿が主流で江戸天下祭のころの屋台・山車は消滅している。現在の屋台・山車は、天下祭のころのものそっくりに復元されたり、新しく作られたものである。しかし、これらの屋台・山車は、天下祭の頃の日枝神社山王まつりや神田祭のように何十台もはなく、一つの祭りに一台程度である。
 このページでは、これらの都内の屋台・山車を集めた。
 囃子の演奏者が歩く舞台屋台、トラックの荷台が舞台になっている屋台や曳太鼓などは除いた。
(神田祭) 神田須田町の山車
 東京江戸博物館(両国)には、江戸時代の「神田祭」の山車のひとつであった人形師古川長延が作った8番「神田須田町・関羽雲長の山車」を、関東に現存する山車や絵画資料をもとに、村田政親によって原寸大に復元されたものが常設展示されている。人形は、関羽雲長で浅草・吉徳作。東京では、江戸天下祭の頃の姿の山車が見られる貴重なもの。
  (東京江戸博物館で撮影)
神田須田町山車 神田須田町山車人形
水神祭:魚河岸会・加茂能人形の山車
 天下祭の十番目に曳き出されたとされる山車を忠実に昭和30年復元した。人形は、能楽「加茂」の別雷神をあらわしたもので、赤頭に唐冠、大飛出の面。衣裳は、紺地に金丸龍模様の狩衣、赤地に稲光電紋模様の半切で、右手に御幣を持っている。二層目の四方幕には、緋羅紗に加茂の競馬の騎馬人形、楓が刺繍され、下段の見送り幕は、加茂の流水に青金二葉葵が、刺繍されている。
山車は、後藤直光作。人形は、磯貝勝之作。
 平成2年10月1日の水神祭に曳き出され、黒牛「とき姫号」に曳かれて、35年振りに巡行した。 平成2年に「中央区民有形民俗文化財」に登録された。
水神祭:室町一丁目の山車
 室町一丁目町会の加茂能人形の龍神の山車。後藤直光作。
加茂能人形の龍神の山車 加茂能人形の龍神の山車人形
神田祭:神田松江町・羽衣の山車
 昭和13年(1938)に神田・松江町町会が造った。戦時中は疎開していたため焼損を免れた。町名の「松江」と能の「三保の松原の天女伝説の天女の羽衣」をひっかけた命名である。
 人形は磯貝勝之作、山車は全高:6m、全長:3m、全幅:2m。4輪、センターピボット式換向装置、2層・人形上下型、後面に大太鼓を備え、太鼓を叩きながら巡行できる。
 山車は、単層囃子台型で人形のみがカラクリで上下・回転する新趣向の山車である。見送り幕の代わりに杉戸になっており、後側には大太鼓が置かれ後から歩きながら叩けるようになっている。
松枝町会は、現在の千代田区岩本町二丁目の一角にあり、「お玉ヶ池」、「お玉稲荷」、「お玉ヶ池・種痘所記念碑」、弘化二年創業の「老舗鰻処・ふな亀」などがある歴史のある街。また、「お玉ヶ池」の湖畔には、坂本竜馬・近藤勇・平手酒造などの剣客を出した千葉周作の道場があった。「お玉ヶ池・種痘所」は、安政5年に勘定奉行行川路聖莫の邸内に設けられ、東京大学医学部発祥の地になった。
羽衣の山車 羽衣の山車人形
日枝神社山王まつり:九段三丁目
牛若丸の山車
 九段三丁目町会の牛若丸の山車。太鼓の上に人形、太鼓の前に雌雄の獅子頭が飾られている。牛若丸の人形は、横笛を吹く姿。
 昭和初期の製作、一部戦災で焼失している。
牛若丸の山車
日枝神社山王まつり:九段四丁目
牛若丸・弁慶の山車
 太鼓の上に人形が置かれている。大正時代に作られた初代は、戦災で焼失、昭和27年(1952)に浅草・宮本重義製作により再建、平成6年に大修理。人形は、五条大橋の弁慶と牛若丸で昭和32年に人形作家・平田洋光らにより創作。
 九段四丁目は、日枝神社の北端の氏子であるが祭りが盛んな町風である。江戸時代は、下級武士の町であったため祭りに対する意識は薄かったが、明治期に入り商家が増え盛んになった。大正時代の山車があったが、空襲で焼失したため、新宿伊勢丹から「布袋」の人形を譲り受けたりしたが、現在の山車は昭和27年に初代の面影を踏襲して完成した。当初は、牛に曳かせて巡行していた。
 山車の仕様は、全幅:1.8m、全長:2.3m、太鼓経:82cm。人形は、昭和32年製。
九段四丁目山車 九段四丁目山車人形
日枝神社山王まつり
 山車は新しいもの。一般に山車のブレーキは、車輪の外輪にブレーキパッドを押しつける形式が多いが、この山車のブレーキは、後輪軸にドラムを付け、バンドで締めるバンドブレーキが付いている。
日枝神社山王まつりの山車 日枝神社山王まつりの山車人形
千住氷川神社:千住四丁目の山車
  各層は三味線胴で区切られ、高欄が付いている。一層の囃子の舞台には、唐破風屋根が付いている。二層目は、回廊式舞台で、松に鶴の幕が張られ、揚巻が四隅に飾られている。三層目には、扇をかざした静御前で人形と二層目が上下する江戸型山車である。
 製作は、明治5年9月、人形は鼠屋五兵衛作。山車は、明治22年2月の憲法発布の日に、牛に牽かせ、千住の町を練った。その後は、氷川神社に保管され、近年足立区立郷土博物館に常設展示されるようになった。都内に現存する屋台・山車では一番古いと思われる。
 車輪は四輪、前方に台輪が約1m突き出している。寸法は、高さ7.53m、幅は3.60m。
千住氷川神社山車 千住氷川神社山車人形
品川神社例大祭:扇の山車
 右絵:鈴山車(北一町会)。

 下絵:翁山車(本宿)。3輪、ブレーキ付き、旋回は前輪を持ち上げて廻る。
昔は翁山車(本宿)、
諫鼓鶏山車(北馬)、獅子山車(北浜)、龍神山車(新宿)などあったが、現在は翁山車だけが残る。 
品川神社例大祭の鈴山車
品川神社例大祭の翁山車 品川神社例大祭の翁山車人形
下谷神社大祭:東上野二丁目町
桃太郎の山車
 桃太郎人形が乗った昭和2年製作の山車。囃子方が乗り町内を練る。
センターピボット式換向装置でブレーキも付いている。全高は、約4〜5mで人形が上下できる構造になっている。
下谷神社大祭の桃太郎山車 下谷神社大祭の桃太郎山車人形
日枝神社山王まつり:三番町
東郷元帥の山車
 東郷平八郎元帥の屋敷が三番町内にあっため、昭和25年(1950)に町内有志が制作し、日枝神社山王まつりで巡行している。人形は、軍刀を持った東郷平八郎。
東郷平八郎:薩摩藩士出身の海軍大将・元帥。日露戦争では、連合艦隊司令長官に就任し、日本海海戦ロシヤのバルチック艦隊を破り国民的英雄となった。ロンドン海軍軍縮条約交渉では強硬派を支持した。後伯爵。(1847〜1934)
都内の屋台・山車  二
長浜曳山まつり
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