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| 祭名称 |
高岡関野神社・春季例大祭、高岡御車山祭(みくるまやま) |
| 神社名称 |
高岡関野神社 |
祭 神
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天照大神・国常立尊・伊弉冉尊・倉稲魂命(稲荷大神)・速玉男命・事解男命・大宮売命・猿田彦・三毛入野命
菅原道真公・前田利長公 |
| 由 緒 |
神社:慶長9年(1604)に大門町(旧射水郡水戸田村)の熊野神社を分霊し高岡上関村に勧請し、熊野宮と称した。その後、文化3年(1806)に熊野宮・高岡稲荷と射水郡関野郷上関村に鎮座していた式内社の加久彌神社(神明社)が現在地に遷座した。
大正8年にこの3社が合祀され、県社列格の高岡関野神社になった。
祭り:御車山は、慶長14年(1609)に前田利長が高岡に城を築いて町を開いたおり、城下の大町に与え、祭礼の山車として奉曳きしたのが始まりといわれている。
また、伝承によれば、天正16年(1588)に豊臣秀吉が京都の聚楽第(注1)に後陽成天皇と正親町上皇の行幸を仰いだときに使用した鳳輦を加賀藩初代藩主前田利家に下賜し、それが利長に伝わり、利長が高岡町民に与え、改装させたものともいわれている。
注1)聚楽第:豊臣秀吉が天正15年(1587)に京都に作った邸宅。翌年、後陽成天皇の行幸を仰ぎ、諸大名に秀吉の威力を示した。その後、養子の秀次の居所となったが、秀次滅亡後壊された。現在の大徳寺唐門・西本願寺飛雲閣はその遺構。 |
| 開催日 |
5月1日 |
場 所
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| 見所時間 |
見所時間:5月1日 |
| 祭 内 容 |
1 日/時間・場所 |
通常コース
(雨の不安ない場合) |
天候不安時一
(9時に決定) |
天候不安時二
(11時に決定) |
| 御車山の巡行 |
11.00〜
坂下町 |
12.00〜18.00
関野神社〜
関野神社 |
14.00〜18.00
利屋町〜関野神社 |
| 勢揃い式 |
12.00〜
片原町交差点
(北陸銀行高岡支店角) |
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| 巡行→曳納 |
12.20〜18.00
片原町交差点〜
高岡関野神社 |
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| ライトアップ |
巡行終了後
(18.30頃〜20.00) |
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| 注1)日程は、2006年の計画。 |
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| 市概要 |
人口:17.3万人、所帯数:5.9万世帯 (2005.10)
高岡市の変革: 加賀藩2代藩主前田利長は、慶長14年(1609)に関野と呼ばれていた荒野に城を築き、城下町を造ったのが高岡の始まり。
利長は、市街地の東方の標高12mの台地に城を築き、その西方に碁盤目状の商人の町を造った。町は、旧城下町の名に因み木船町・守山町・御馬出町・小馬出町と呼ばれ繁栄した。
しかし、慶長19年(1614)の前田利長の逝去にともない家臣団は金沢へ引き上げ、城は廃城となり、町は急速にさびれた。
これを憂えた3代藩主前田利常は、元和6年(1620)に商人が移動するのを禁じ、城下町から商工業郡市への転換を図り、城に替わる藩主の宿泊所として御旅屋(おたや)をつくり、「布判押人」を置き、砺波地方全域の特産であった「布」の集散地にするなどし、藩都金沢に次ぐ商工業都市として発展させた。
市街地は、現在も利長による開町時の町割りが残っている。 |
| 参考資料 |
高岡市教育委員会編集「華やかな神の座 高岡御車山」
高岡市HP:http://www.city.takaoka.toyama.jp/
瑞龍寺HP:http://www.zuiryuji.jp/ |