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| ―― 祭りのアルバム ―― | 神 社 | ||
| 祭名称 | 富岡八幡宮例祭、通称:深川八幡祭り | |||||||||||||
| 神社名称 | 富岡八幡宮 (江戸時代には、永代橋八幡宮とも呼ばれた) | |||||||||||||
| 御祭神 | 応神天皇(誉田別命) | |||||||||||||
| 御由緒 | ●由緒:菅原道真の子孫の京都の長盛上人が、霊夢のお告げにより、寛永4年(1627)永代島周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を造り、応神天皇を御祭神として八幡宮を創建した。 深川一帯は、明暦の大火のあと埋め立てが進み、市街地として繁栄した。 ●祭の起源は、八幡宮創立から15年後の寛永19年(1642)8月15日に、将軍家光の長男(のちの家綱)の世嗣の祝賀を行ったのが始まりと言われている。 文化4年(1807)に祭り見物の群衆の重みで永代橋が落ちたことがあり、歌舞伎や芝居となり、深川八幡祭りの人気が高まった。 明治までは、山車が中心の祭りであったが、電車が走り始めると電線が邪魔になり山車が出せなくなり、神輿が中心になってきた。震災や戦災により中断の憂き目にあいながらも、昭和34年(1959)から3年に一度の本祭になり、「ワッショイ、ワッショイ」のかけ声、晒しにに町半纏、半股引きに統一された。他の祭りのかけ声が「セイヤ!ソイヤ!」になっている今「ワッショイ、ワッショイ」が守られている。 真夏の祭りであり、辰巳芸者が担ぎ手の足下に水を掛けたのが始まりとの説もあり、今では大きなポリバケツで神輿にまで豪快に水を掛ける。このことから深川八幡祭りは、別名「水掛けまつり」といわれ深川八幡祭りの見所。 ●富岡八幡宮の例祭は8月15日を中心に行われ、俗に深川八幡祭りとも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられていた。3年に1度(1999、2002、2005、2008・・・)、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、大小あわせて120数基の町神輿が担がれ、その内大神興ばかり54基が勢揃いして連合渡御する様は「深川八幡祭り」ならではのものとされている。 深川のお祭りは「ワッショイ、ワッシヨイ」の伝統的な掛け声と「水掛け祭」の別名のとおり、沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられ、担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がり、他の神輿祭と一味違う祭り。それは担ぎ手と見物人がより一体感があることによる。水をかけるのは主に町の人であるが、担ぎ手 Vs.町の人&見物人との感じで祭りに参加しているような感じを受ける。 ●富岡八幡宮には元禄時代に豪商として名を馳せた紀伊国屋文左衛門が奉納したとされる総金張りの宮神輿が3基あったが、関東大震災で焼失、68年後の平成3年に日本一の黄金大神輿が奉納され宮神輿(台輪幅:1.5m、屋根幅:2.9m、高さ:4.4m、重量:4.5トン)が復活した。しかし、大きすぎ毎年担ぐことができず、新たに宮神輿を製作し、二の宮(重量:約2トン)として平成9年の例大祭で初めて渡御し、本祭りには宮神輿が渡御することになった。 |
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| 見所 | G町神輿の連合渡御 @本祭では、120数基といわれる町神輿の内の大神興ばかり50数基が永代橋詰めに勢揃いして、永代橋通りを富岡八幡宮まで「ワッショイ、ワッシヨイ」の伝統的な掛け声と、「水掛けまつり」のとおり沿道から担ぎ手に清めの水が浴びせられる連合渡御が行われ、江戸三大祭に数えられている。 A神幸祭は、神輿はじめ全てが自動車で巡行する。 B富岡八幡宮境内には、幕末の名力士「神幕久五郎」が引退した後、伊藤博文など当時の政界の名士の寄付により明治28年に建てられた横綱力士碑があり、裏面に歴代の横綱の名前が刻まれている。不知火光右衛門の碑も隣にあり見所の一つ。 |
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| 参考資料 | 冊子「深川八幡祭り」、富岡八幡宮縁起など |
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