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下町の祭りの先陣を切って下谷神社の大祭が行われ、心配した天気も11日の昼前には降っていた雨もあがり、13日は久しぶりに晴れた。今年は、本祭りで本社神輿が氏子町内を渡御した。
土曜日夕方18.00頃から町神輿が、笛・太鼓と勇ましい「セイヤ・ソイヤ」のかけ声とともに次々に赤い鳥居をくぐり下谷神社へ入る光景は、正に神輿祭の醍醐味である。
日曜日の本社神輿の渡御は、12時間も氏子町内を渡御するが、フリーの担ぎ手が担げる場所には、3〜4人のパーティから20人もの大パーティまで300人ほども揃いの法被や浴衣などで今か今かと神輿の到来を待っていた。なんとも言えない雰囲気で、神輿が到着すると手拍子を打ち次々と担いだ。
おばけ神輿と言われる本社神輿は、確かに大きな神輿であるが、渡御は1基で、通り過ぎるとおしまいになるが、町神輿の宮入は次々と来るため長く楽しめる。
地方の祭りでは、人手がないなど問題が多いとの話もあるが、下谷神社の祭りではフリーの担ぎ手が多く、不自由はないように見えた。 |
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神社は氏子などで大賑わい。横の横町にも露店が並び、こちらは子供で大賑わい。
境内の舞殿では、神楽囃子に合わせて里神楽「神剣幽助 小鍛冶」が舞われた。 |
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| 神幸祭は、大麻を持った役員や一本の超高歯の下駄の猿田彦、馬に乗った神主など古い仕来りが残っている。町で馬を見かけるのは祭りぐらいしかなく、街角で子供たちが馬を撫でていた。 |
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本祭の今年の日曜日には、本社神輿が氏子町内を約12時間かけ渡御した。猿田彦が祭り行列を先導。
本社神輿は、鳥越神社の神輿と共に大きいことで有名。
下谷神社の氏子であった江戸幕府7代将軍家継の生母月光院は、病弱の家継の健康を祈願し、正徳4年(1714)に神輿を奉納した。大正大震災で焼失し、現在の神輿は大正15年に後藤直光による謹製。台輪4尺1寸、総高さ十尺一寸。 |
約20基の町神輿が土曜日18.00頃から次々と宮入りしてお祓いを受けた後、20.00頃まで町内を渡御。威勢のいい「セイヤ・ソイヤ」のかけ声で、神社の一の鳥居前は興奮のるつぼとかした。 |
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桃太郎人形が乗った昭和2年製作の屋台。囃子方が乗り町内を練る。
センターピボット式換向装置でブレーキも付いている。全高はせいぜい4mながら人形の上下もできる構造になっている。 |
各町内には、町神輿の他に子供用の神輿などもあり2〜3基を持つところが多い。子供神輿は曳太鼓と一緒に町内を練る。 |
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| 本社神輿が町内へ入ると町内の人たちにより担がれるがフリーの区間があり、多くの各地から来た色とりどりの法被を着た睦が神輿の渡御を待っている。 |
神社の軒下には下町らしく千社札がびっしり張られている。 |
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